>   論語   >   述而第七   >   20

述而第七 20 子不語怪力亂神章

167(07-20)
子不語怪力亂神。
かいりょくらんしんかたらず。
現代語訳
  • 先生は怪談、暴力、反乱、神秘を語らない。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様は、怪談や、武勇伝や、乱倫らんりん背徳はいとくの話や、神仏霊験れいげんやを語られなかった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は、妖怪へんとか、腕力ざたとか、醜聞とか、超自然の霊とか、そういったことについては、決して話をされなかった。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 怪 … 怪奇。奇怪。「恠」に作るテキストもある。異体字。
  • 力 … 怪力。武勇伝。暴力。「りき」と読んでもよい。
  • 乱 … 悖乱はいらん。背徳。道を乱すこと。無秩序。
  • 神 … 神秘的なこと。
  • 怪力乱神 … 「怪力」「乱神」の二者とする説もある。
補説
  • 『注疏』に「此の章は夫子の教えを為すや、無益の事をわざるを記す」(此章記夫子爲教、不道無益之事)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不語怪力乱神 … 『集解』に引く王肅の注に「怪とは、怪異なり。力とは、ごうふねうごかし、かくせんきんを挙ぐるのたぐいの若きを謂う。乱とは、臣の君をしいし、子の父をしいするを謂うなり。神とは、鬼神の事を謂うなり。或いは教化に益無く、或いは言うに忍びざる所なり」(怪、怪異也。力、謂若奡盪舟、烏獲舉千鈞之屬也。亂、謂臣弑君、子弑父也。神、謂鬼神之事也。或無益於教化也、或所不忍言也)とある。「奡盪舟」は「憲問第十四6」参照。なお、底本では孔安国の注に作るが、王肅に改めた。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「怪は、怪異なり。妖孽ようげつの事を謂うなり。力は、多力を謂うなり。かく千鈞を挙ぐるの若きの事なり。乱は、臣子の君父をしいし害するの事を謂うなり。神は、鬼神の事を謂うなり。此の四事之を言うも教訓に益無し。故に孔子語るに之に及ばざるなり。或ひと問いて曰く、易の文言は、孔子の作りし所なり。云う、臣君を殺し、子父を殺すとは、並びに乱事なり。而るに孔子之を語らずと云うは、何ぞや、と。答えて曰く、端をひらくを言と曰い、答述を語と曰う。此に語らずと云うは、誦答せざるを謂うのみ。言わずと云うに非ざるなり、と」(怪、怪異也。謂妖孽之事也。力、謂多力也。若烏獲舉千鈞之事也。亂、謂臣子弑害君父之事也。神、謂鬼神之事也。此四事言之無益於教訓。故孔子語不及之也。或問曰、易文言、孔子所作。云、臣殺君、子殺父、竝亂事。而云孔子不語之、何也。答曰、發端曰言、答述曰語。此云不語、謂不誦答耳。非云不言也)とある。妖孽は、妖怪のなす悪さ。烏獲千鈞を挙ぐとは、戦国時代、秦の武王に仕えた力持ちの烏獲が千鈞の重さのものを持ち上げたという故事。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「怪は、怪異なり。力は、ごうの舟をうごかし、かくの千鈞を挙ぐるが若きの属を謂うなり。乱は、臣君を弑し、子父を弑するを謂うなり。神は、鬼神の事を謂う。或いは教化に益無く、或いは言うに忍びざる所なればなり」(怪、怪異也。力、謂若奡盪舟、烏獲舉千鈞之屬也。亂、謂臣弑君、子弑父也。神、謂鬼神之事。或無益於教化、或所不忍言也)とある。また『集注』に「怪異・勇力・悖乱はいらんの事は、理の正しきに非ず。もとより聖人の語らざる所なり。鬼神は、造化の迹なり。正しからざるに非ずと雖も、然れども理を窮むるの至りに非ざれば、未だ明らかにし易からざる者有り。故に亦た軽〻かろがろしく以て人に語らざるなり」(怪異勇力悖亂之事、非理之正。固聖人所不語。鬼神、造化之迹。雖非不正、然非窮理之至、有未易明者。故亦不輕以語人也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「聖人は常を語りて怪を語らず。徳を語りて力を語らず。治を語りて乱を語らず。人を語りて神を語らず」(聖人語常而不語怪。語德而不語力。語治而不語亂。語人而不語神)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、夫子嘗て曰えり、鬼神を敬して之を遠ざく、と。又た曰えり、未だ人に事うること能わず、いずくんぞ能く鬼に事えん、と。蓋しの人道を修めずして、鬼神に諂瀆てんとくするを戒むるなり。此に至りて、直に語らずと称したれば、則ち益〻ますます其の妖異の説、後世の惑いをひらかんことを恐れて、源を塞ぎ本を抜き、深くこれを言議に絶するを見る。此を以て之を観れば、後世記礼の書に、孔子の言と称して、鬼神妖異の事を説く者は、皆附会の説なり」(論曰、夫子嘗曰、敬鬼神而遠之。又曰、未能事人、焉能事鬼。蓋戒夫不修人道、而諂瀆鬼神也。至此、直稱不語、則益見其妖異之説、恐啓後世之惑、而塞源抜本、深絶諸言議。以此觀之、後世記禮之書、稱孔子之言、説鬼神妖異之事者、皆附會之説也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「語はおしえ言うなり。蓋し弟子をびて之に語し、其れをして奉じて以てこれを己に行わしむる者を謂うなり。……怪異・勇力・悖乱はいらんの事は、先王の典の尚ぶ所に非ず、故に以て語とせず。鬼神の道は微妙なり、人にさとす所以に非ず、故に亦た以て語とせざるなり。語の字の義明らかならずして、漢儒以来乃ち此の四つの者を談ぜずと謂うは、非なり。……鬼神は、天神・人鬼なり。朱註に、造化のあとなりと謂う、迹は豈に鬼神ならんや。又た曰く、窮理の至りに非ずんば、未だ明らめ易からざる者有り、と、鬼神は豈に窮理の能く明らむる所ならんや。……仁斎は又た此の章に拠りて、而うして易・中庸・礼記の鬼神を言う者を排して、孔子の言に非ずとす。果たして其の説の是ならば、春秋は乱に非ざるは無し、亦た孔子の作に非ざらん」(語誨言也。蓋謂召弟子語之、使其奉以行諸己者也。……怪異勇力悖亂之事、非先王之典所尚、故不以爲語。鬼神之道微妙、非所以喩人、故亦不以爲語也。語字之義不明、漢儒以來乃謂不談此四者、非矣。……鬼神、天神人鬼也。朱註、謂造化之迹、迹豈鬼神乎。又曰、非窮理之至、有未易明者、鬼神豈窮理之所能明乎。……仁齋又據此章、而排易中庸禮記言鬼神者、爲非孔子之言。果其説之是乎、春秋無非亂、亦非孔子之作)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十