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述而第七 1 子曰述而不作章

148(07-01)
子曰、述而不作。信而好古。竊比於我老彭。
いわく、べてつくらず。しんじていにしえこのむ。ひそかに老彭ろうほうす。
現代語訳
  • 先生 ――「受けつぐが作りはしない。たしかめて昔をこのむ。おこがましいが彭(ホウ)さんのまねだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「自分は昔の教えを伝えてこれを説明するのみで、独断どくだん創作そうさくすることをしない。信念をもっていにしえの道を好む点において、心ひそかに自らをわが尊敬する老彭にくらべるだけのことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「私は古聖の道を伝えるだけで、私一個の新説を立てるのではない。古聖の道を信じ愛する点では、私は心ひそかに自分を老彭ろうほうにもおとらぬと思っているのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 述 … 述べ伝える。受け継いで伝える。祖述する。
  • 作 … 創作する。新しく作る。
  • 好古 … 古えの道を愛好する。
  • 窃比 … そっと比べる。
  • 老彭 … 殷代の大夫で賢者。また、老子と彭祖(伝説上の仙人で長寿の代表)の二人とする説など、諸説ある。
補説
  • 述而第七 … 『集解』に「旧は卅九章、今は卅八章」(舊卅九章、今卅八章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「述而とは、孔子の行教を明らかにするなり。但だ堯・舜を祖述して、自ら老彭に比して、制作せざるなり。所以に前に次ぐ者、時に既にけん、聖賢の地閉ず。唯だ二賢の不遇のみに非ずして、聖も亦た常を失う。故に聖の不遇を以て、賢の不遇、非賢の失を証せり。所以に述而は雍也に次ぐなり」(述而者、明孔子行教。但祖述堯舜、自比老彭、而不制作也。所以次前者、時既夷嶮、聖賢地閉。非唯二賢之不遇、而聖亦失常。故以聖不遇、證賢不遇非賢之失。所以述而次雍也)とある。夷嶮は、順境と逆境。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は皆孔子の志行を明らかにするなり。前篇は賢人・君子及び仁者の徳行、徳を成すに漸有るを論ずるを以て、故に聖人を以て之に次す」(此篇皆明孔子之志行也。以前篇論賢人君子及仁者之德行、成德有漸、故以聖人次之)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「此の篇は多く聖人の己を謙し人をおしうるの辞、及び其の容貌行事の実を記す。凡そ三十七章」(此篇多記聖人謙己誨人之辭、及其容貌行事之實。凡三十七章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は仲尼の著述の謙を記するなり」(此章記仲尼著述之謙也)とある。
  • 述而不作 … 『義疏』に「此れ孔子自ら説くなり。述とは、旧章を伝うるなり。作とは、新たに礼楽を制作するなり。孔子自ら言う、我但だ旧章を伝述するのみにして、新たに礼楽を制せざるなり、と。夫れ礼楽を制し得る者は、必ず須らく徳位兼ね並ぶべし。徳を聖人と為し、尊を天子と為す者なり。然る所以の者は、礼楽を制作するは、必ず天下をして之を行わしむ。若し徳有るも位無くんば、既に天下の主に非ず。而して天下畏れざれば、則ち礼楽行われず。若し位有りて徳無くんば、天下の主と為ると雖も、而れども天下服せざれば、則ち礼楽行われず。故に必ず須らく並び兼ぬべき者なり。孔子は是れ徳有るも位無し。故に述べて作らざるなり」(此孔子自説也。述者、傳於舊章也。作者、新制作禮樂也。孔子自言、我但傳述舊章、而不新制禮樂也。夫得制禮樂者、必須德位兼並。德爲聖人、尊爲天子者也。所以然者、制作禮樂、必使天下行之。若有德無位、既非天下之主。而天下不畏、則禮樂不行。若有位無德、雖爲天下之主、而天下不服、則禮樂不行。故必須並兼者也。孔子是有德無位。故述而不作也)とある。また『集注』に「述は、旧を伝うるのみ。作は、則ち創始するなり。もとより作は聖人に非ざれば能わず。而して述は則ち賢者も及ぶ可し」(述、傳舊而已。作、則創始也。故作非聖人不能。而述則賢者可及)とある。
  • 信而好古 … 『義疏』に「又た己常に忠信を存するを言う。而して復た古えの先王の道を好む。故に曰く、信じて古えを好むなり、と。所以に中庸に云う、仲尼堯舜を祖述して、文武を憲章すとは、是れなり、と」(又言己常存於忠信。而復好古先王之道。故曰、信而好古也。所以中庸云、仲尼祖述堯舜、憲章文武、是也)とある。
  • 好古 … 司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山好古よしふるの名前の由来となった。ウィキペディア【秋山好古】参照。
  • 窃比於我老彭 … 『集解』に引く包咸の注に「老彭は、殷の賢大夫なり。好みて古えの事を述ぶ。我老彭の若く、但だ之を述ぶるのみ」(老彭、殷賢大夫也。好述古事。我若老彭矣、但述之耳也)とある。また『義疏』に「窃は、猶お盗のごときなり。老彭は、彭祖なり。年八百歳、故に老彭と曰うなり。老彭も亦た徳有るも位無し。但だ述ぶるのみにして作らず。信じて古えを好む。孔子自ら之に比せんと欲す。而れども謙して敢えて均然たらず。故に窃かに比すと曰うなり」(竊、猶盜也。老彭、彭祖也。年八百歳、故曰老彭也。老彭亦有德無位。但述而不作。信而好古。孔子欲自比之。而謙不敢均然。故曰竊比也)とある。また『注疏』に「作者之を聖と謂い、述者之を明と謂う。老彭は、殷の賢大夫なり。老彭は時に於いて、但だ先王の道を述脩するのみにて、自らは制作せず、篤く信じて古事を好む。孔子言う、今我も亦た爾り、と。故に老彭に比すと云う。猶お敢えて顕言せず、故に窃かにと云う」(作者之謂聖、述者之謂明。老彭、殷賢大夫也。老彭於時、但述脩先王之道、而不自制作、篤信而好古事。孔子言、今我亦爾。故云比老彭。猶不敢顯言、故云竊)とある。また『注疏』に引く王弼の注に「老は是れ老聃ろうたん、彭は是れ彭祖なり。老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は伯陽、謚を聃と曰う。周の守蔵室の史なり」(老是老聃、彭是彭祖。老子者、楚苦縣厲郷曲仁里人也。姓李氏、名耳、字伯陽、謚曰聃。周守藏室之史也)とある。また『集注』に「窃かに比すは、之を尊ぶの辞。我は、之を親しむの辞。老彭は、商の賢大夫、大戴礼に見ゆ。蓋し古えを信じて伝述する者なり」(竊比、尊之之辭。我、親之之辭。老彭、商賢大夫、見大戴禮。蓋信古而傳述者也)とある。
  • 我老彭 … 『義疏』では「我於老彭」に作る。「我を老彭に」と訓読する。
  • 『集注』に「孔子詩・書をさんし、礼楽を定め、周易を賛し、春秋を修む。皆先王の旧を伝えて、未だ嘗て作る所有らざるなり。故に其の自ら言うこと此くの如し。蓋し惟だ敢えて作者の聖に当たらざるのみならず、亦た敢えて顕然として自ら古えの賢人に附かず。蓋し其の徳愈〻いよいよ盛んにして、心愈〻下り、自ら其の辞の謙なるを知らざるなり。然れども是の時に当たり、作者略〻ほぼ備われり。夫子蓋し群聖の大成に集めて之を折衷す。其の事は述ぶると雖も、功は則ち作るに倍す。此れ又た知らざる可からざるなり」(孔子刪詩書、定禮樂、贊周易、修春秋。皆傳先王之舊、而未嘗有所作也。故其自言如此。蓋不惟不敢當作者之聖、而亦不敢顯然自附於古之賢人。蓋其德愈盛、而心愈下、不自知其辭之謙也。然當是時、作者略備。夫子蓋集羣聖之大成而折衷之。其事雖述、而功則倍於作矣。此又不可不知也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子の徳、堯舜にまされり、何ぞ作ること能わざる所ならん。……蓋し聖人の聖人たる所以の者は、自ら其の智を用いるに在らずして、広く衆智をるに在り。我より古えを作すことを好まずして、事必ず古えをかんがうることを好む。況んや往聖の典則、きて方策に在り、之を述べて余り有り、之を信じてのっとる可きをや。……論に曰く、宋儒はつねに前聖の未だ発せざる所を発するを以て功と為す。……其の道を論ずるには、必ず曰く虚霊不昧と、必ず曰く冲漠無朕と、必ず曰く明鏡止水と、必ず曰く体用源を一にし、顕微間無しと。其の言皆仏老の緒余に出でて、吾が孔孟の書に至りては、則ち本此の語無く、亦た此の理無し。之を述べて作らず、信じて古えを好むと謂いて可ならんか。其の是非得失、弁を待たずして明らかなり」(夫子之德、賢於堯舜、何所不能作。……蓋聖人之所以爲聖人者、不在自用其智、而在廣資衆智。不好自我作古、而好事必稽古。況往聖典則、布在方策、述之而有餘、信之而可法。……論曰、宋儒毎以發前聖之所未發爲功。……而其論道、必曰虚靈不昧、必曰冲漠無朕、必曰明鏡止水、必曰體用一源、顯微無間。其言皆出於佛老之緒餘、。而至於吾孔孟之書、則本無此語、亦無此理。謂之述而不作、信而好古可乎。其是非得失、不待辨而明矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「述べて作らず、信じて古えを好む、是れ必ず古え老彭を称するの語、孔子之を誦して以て自ら比するなり。其の行い適〻たまたま同じきを以てなり。……古え学には、先聖・先師を祭る。……按ずるに彭城は魯に近ければ、則ち魯は必ず老彭を祀りて先師とするならん。故に孔子は窃かに以て之を尊び、我以て之を親しむなり。述べて作らず、作る能わざる者有り、能く作りて而も敢えて作らざる者有り。能く作りて而も敢えて作らず、ここを以て称す。……殊に知らず孔子は礼楽を作らず、故に作らずと曰うことを。豈に謙ならんや。……仁斎先生曰く、……是れ其の意孟子の堯・舜にまさるの言に固執し、而うして古聖人の道は、孔子も猶お取らざる所有り、孔子は中庸を尊ぶ、是れ其の古聖人に賢る所以なりと謂うなり。殊に知らず古聖人の道は、本一聖の能く建つる所に非ず、乃ち数千載を、衆聖の成す所なることを。故に孔子の聖と雖も、学ばざれば則ち之を知ること能わず。……且つ中庸は徳なり、道に非ざるなり。……豈に孔子の道を謂って中庸とせんや。且つ宋儒は道と徳を合して之を一にす。仁斎も亦た其の旧習にる。乃ち荘・老の遺にして、謬戻の大いなる者なり」(述而不作、信而好古、是必古稱老彭之語、孔子誦之以自比也。以其行適同也。……古者學、祭先聖先師。……按彭城近魯、則魯必祀老彭爲先師。故孔子竊以尊之、我以親之也。述而不作、有不能作者、有能作而不敢作者。能作而不敢作、是以稱焉。……殊不知孔子不作禮樂、故曰不作。豈謙乎哉。……仁齋先生曰、……是其意固執孟子賢於堯舜之言、而謂古聖人之道、孔子猶有所不取焉、孔子尊中庸、是其所以賢於古聖人也。殊不知古聖人之道、本非一聖之所能建、乃歴數千載、衆聖所成。故雖孔子之聖、不學則不能知之。……且中庸德也、非道也。……豈謂孔子之道爲中庸乎。且宋儒合道德而一之。仁齋亦狃其舊習。乃莊老之遺、謬戻之大者也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
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