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雍也第六 25 子曰君子博學於文章

144(06-25)
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。
いわく、くんひろぶんまなび、これやくするにれいもってせば、もっそむかざるきか。
現代語訳
  • 先生 ――「読書人はひろく文献をまなび、それを規律でひきしめれば、ともかく本すじにたがわないだろうな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「君子たるもの、ひろく書を読んで文物を学ばねばならぬが、博学なだけでは散漫さんまんになる故、人生の物指ものさしたる礼をもってしめくくりをつけねばならぬ。そうすれば正しい道にそむかぬようになれようか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君子はひろく典籍を学んで知見をゆたかにするとともに、実践の規範を礼に求めてその知見にしめくくりをつけていかなければならない。それでこそはじめて学問の道にそむかないといえるであろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵第十二15」に重出しているが、「君子」の二字がない。
  • 君子 … ここでは特に学問をする人の意。
  • 文 … 詩・書・礼・楽などの古典の書。
  • 之 … 書物から学んだ知識。
  • 約 … 広く学んだことを実践できる方向へ集約していく。
  • 礼 … 安定した社会秩序。伝統的習慣。
  • 畔 … 背く。道にはずれる。
  • 矣夫 … 「かな」と読んでもよい。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子し博く先王の遺文を学び、復た礼を用いて以て自ら撿約けんやくせば、則ち道に違わざるを言うなり」(此章言君子若博學於先王之遺文、復用禮以自撿約、則不違道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子 … 『経典釈文』に「一本君子の字無し」(一本無君子字)とある。ウィキソース「經典釋文 (四庫全書本)/卷24」参照。
  • 博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫 … 『集解』に引く鄭玄の注に「そむかざるは、道に違わざるなり」(弗畔、不違道也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「博は、広なり。約は、束なり。畔は、違なり、背なり。言うこころは君子は広く六籍の文を学ぶ。又た礼を用て自ら約束す。能く此くの如くする者、亦た道理に違背せざるを得可し」(博、廣也。約、束也。畔、違也、背也。言君子廣學六籍之文。又用禮自約束。能如此者、亦可得不違背於道理也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「畔は、違なり」(畔、違也)とある。また『集注』に「約は、要なり。畔は、背なり。君子は学其の博きを欲す。故に文に於いて考えざる無し。守るに其の要を欲す。故に其の動くに必ず礼を以てす。此くの如くなれば、則ち以て道に背かざる可し」(約、要也。畔、背也。君子學欲其博。故於文無不考。守欲其要。故其動必以禮。如此、則可以不背於道矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く程顥の注に「博く文を学びて之を約するに礼を以てせざれば、必ず汗漫かんまんに至る。博く学び、又た能く礼を守りて規矩に由れば、則ち亦た以て道にそむかざる可し」(博學於文而不約之以禮、必至於汗漫。博學矣、又能守禮而由於規矩、則亦可以不畔道矣)とある。汗漫は、まとまりのないこと。散漫。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ孔門学問のじょうほうなり。……若し夫れ今の所謂博学という者は、皆雑家者流の学にして、聖門の所謂博学という者に非ざるなり。……論に曰く、三代の聖人、屢〻しばしば中を以て言を為す。而して吾が夫子に至りては、則ち特に礼を以て教えを為す。……蓋し中は泛然拠り難きの患い有りて、礼は秩然ちつぜん執る可きの則有り。故に三代の聖人に在りては、則ち中を言いて可なり。学者に教うるには、則ち礼に非ざれば不可なり、と」(此孔門學問之定法也。……若夫今之所謂博學者、皆雜家者流之學、而非聖門所謂博學者也。……論曰、三代聖人、屢以中爲言。而至於吾夫子、則特以禮爲教。……蓋中有泛然難據之患、而禮有秩然可執之則。故在三代聖人、則言中可矣。教學者、則非禮不可也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「文とは、詩・書・礼・がくなり。先王の道は大いなり。博く之を学ぶに非ざれば則ち之を知ること能わず。之を約すとは、これを身にるるなり。先王の道を約して之を其の身に納れんと欲すれば、則ち礼に非ざれば能わず。故に礼を以てすと曰う。……礼は即ち詩書礼楽の礼、二つ有るに非ざるなり。……仁斎先生曰く、三代の聖人、屢〻しばしば中を以て言を為す。而うして吾が夫子に至っては、則ち特に礼を以て教えを為す、と。……中は自ずから中、礼は自ずから礼、豈に混ず可けんや。彼宋儒の説に惑い、而うして以て中と礼とは一理とす、妄なるかな」(文者、詩書禮樂也。先王之道大矣。非博學之則不能知之也。約之者、納諸身也。欲約先王之道而納之其身、則非禮不能。故曰以禮。……禮即詩書禮樂之禮、非有二也。……仁齋先生曰、三代聖人屢以中爲言。而至於吾夫子、則特以禮爲教。……中自中、禮自禮、豈可混乎。彼惑宋儒之説、而以爲中與禮一理、妄哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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