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雍也第六 12 子游爲武城宰章

131(06-12)
子游爲武城宰。子曰、女得人焉耳乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。
ゆうじょうさいる。いわく、なんじひとたるか。いわく、澹台たんだい滅明めつめいなるものり。くにこみちらず。こうあらざれば、いまかつえんしついたらざるなり。
現代語訳
  • 子游が武城の町長をしていた。先生 ――「きみは人物を見いだしたかね。」子游 ―― 「澹台(タンダイ)滅明というのがいます。わき道をとおらず、公用でないと、わたくしの部屋にもやってきませんです。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ゆうじょうの市長になっていたが、孔子様が「お前は誰かシッカリした助役を得たか。」と問われたところ、子游が答えて申すよう、「澹台たんだい滅明めつめいという者を採用致しました。この者は誠に公明正大な人物でありまして、往来をあるくにも近道抜け道をせず、また公用でなければけっして私の部屋にはいって参りません。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ゆうじょうの代官をつとめていたが、ある時、先師が彼にたずねられた。――
    「部下にいい人物を見つけたかね」
    子游がこたえた。――
    澹台たんだい滅明めつめいという人物がおります。この人間は、決して近道やぬけ道を歩きません。また公用でなければ、決して私の部屋にはいって来たことがございません」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子游 … 前506~前443?。姓はげん、名はえん、子游はあざな。呉の人。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子夏とともに文章・学問に優れているとされた。武城の町の宰(長官)となった。ウィキペディア【子游】参照。
  • 武城 … 魯の国の町名。
  • 宰 … 領地の長官。代官。町長。市長。
  • 女 … 「汝」に同じ。
  • 得人焉耳乎 … (すぐれた)人物を見つけたか。
  • 焉耳乎 … 三字で「か」と読む。
  • 澹台滅明 … 前502?~?。姓は澹台、名は滅明、あざな子羽しう。魯の人。孔子の弟子。公正な人柄だが、醜男だったという。ウィキペディア【澹台滅明】参照。
  • 行不由径 … 歩くときには近道をしない。公明正大であること。由は、したがいよる。径は、こみち。近道。故事成語「行くに径に由らず」参照。
  • 公事 … 公の仕事。公務。
  • 未嘗~ … 「いまだかつて~せず」と読み、「今まで~したことがない」と訳す。「未」は再読文字。
  • 偃 … 子游の名。
  • 室 … 私室。私宅。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子羽の公・方を明らかにするなり」(此章明子羽公方也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子游 … 『孔子家語』七十二弟子解に「言偃げんえんひとあざなは子游。孔子よりわかきこと三十五歳。時に礼を習い、文学を以て名を著す。仕えて武城の宰と為る。嘗て孔子に従いて衛にく。将軍の子蘭と相善し。之をして学を夫子に受けしむ」(言偃魯人、字子游。少孔子三十五歳。時習於禮、以文學著名。仕爲武城宰。嘗從孔子適衞。與將軍之子蘭相善。使之受學於夫子)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「言偃はひとあざなは子游。孔子よりわかきこと四十五歳」(言偃呉人。字子游。少孔子四十五歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子游為武城宰 … 『集解』に引く包咸の注に「武城は、魯の下邑なり」(武城、魯下邑也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「弟子の子游なり。時に武城の邑宰と為るなり」(弟子子游也。時爲武城邑宰也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「武城は、魯の下邑なり。子游は時に之が宰と為るなり」(武城、魯下邑。子游時爲之宰也)とある。また『集注』に「武城は、魯の下邑なり」(武城、魯下邑)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、女得人焉耳乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「焉・耳・乎・哉は、皆辞なり」(焉耳乎哉、皆辭也)とある。また『義疏』に「孔子子游に問いて言う、汝武城の宰と作りて、武城の邑民徳行を好むの人、汝の得る所と為る者有りやいなや、と。故に云う、汝人を得たるか、と。故に袁氏曰く、其の邦の賢才を得たるやいなやと謂うなり、と」(孔子問子游言、汝作武城宰、而武城邑民有好德行之人、爲汝所得者不乎。故云、汝得人焉耳乎哉。故袁氏曰、謂得其邦之賢才不也)とある。また『注疏』に「孔子子游に問いて言う、武城に在りて、其の有徳の人を得たるか、と。焉・耳・乎は皆語助の辞なり」(孔子問子游言、女在武城、得其有德之人乎。焉耳乎皆語助辭)とある。
  • 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
  • 焉耳乎 … 「焉爾乎」に作るテキストもある。また『義疏』では「焉耳乎哉」に作る。
  • 澹台滅明 … 『孔子家語』七十二弟子解に「澹台滅明は武城の人、字は子羽。孔子よりわかきこと四十九歳。君子の資有り。孔子嘗て容貌を以て其の才を望むに、其の才、孔子の望に充たず。然れども其の人とり公正にして私無く、以てしゅ去就す。諾を以て名を為す。魯に仕えて大夫と為る」(澹臺滅明武城人、字子羽。少孔子四十九歳。有君子之資。孔子嘗以容貌望其才、其才不充孔子之望。然其爲人公正無私、以取與去就。以諾爲名。仕魯爲大夫)とある。取与は、取ることと、与えること。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「澹台滅明は武城の人。字は子羽。孔子よりわかきこと三十九歳。じょうぼう甚だみにくし。孔子に事えんと欲す。孔子以為おもえらく材薄しと。既に已に業を受け、退きて行いを修む。行くにこみちに由らず、公事に非ざれば卿大夫を見ず。南に遊びて江に至る。てい三百人を従え、取予去就を設く。名、諸侯に施く。孔子之を聞きて曰く、吾、言を以て人を取り、之を宰予に失す。貌を以て人を取り、之を子羽に失す、と」(澹臺滅明武城人。字子羽。少孔子三十九歳。狀貌甚惡。欲事孔子。孔子以爲材薄。既已受業、退而修行。行不由徑、非公事不見卿大夫。南遊至江。從弟子三百人、設取予去就。名施乎諸侯。孔子聞之曰、吾以言取人、失之宰予。以貌取人失之子羽)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 曰、有澹台滅明者。行不由径 … 『集解』に引く包咸の注に「澹台は姓、滅明は名なり。字は子羽なり。其の公にして且つ方なるを言うなり」(澹臺姓、滅明名也。字子羽。言其公且方也)とある。また『義疏』に「宰と為りて得る所の邑中の人に答うるなり。澹台滅明も亦た孔子の弟子なり。言うこころは滅明事毎ことごとに方正なり。故に行き出づるときに皆小路を邪径せざるなり。一に云う、滅明は徳行方正にして邪径、小路の行を為さざるなり、と」(答爲宰而所得邑中之人也。澹臺滅明亦孔子弟子也。言滅明毎事方正。故行出皆不邪徑於小路也。一云、滅明德行方正不爲邪徑小路行也)とある。また『注疏』に「此れ子游孔子に対えて己得る所の人を言うなり、姓は澹台、名は滅明なり。……此れ其の人の徳を言うなり。行くに大道にしたがい、小径に由らざるは、是れ方なり」(此子游對孔子言己所得之人也。姓澹臺、名滅明。……此言其人之德也。行遵大道、不由小徑、是方也)とある。また『集注』に「澹台は姓、滅明は名、字は子羽。径は、路の小にしてはやき者なり。……径に由らざれば、則ち動くに必ず正を以てし、小を見て速やかなるを欲するの意無きこと知る可し」(澹臺姓、滅明名、字子羽。徑、路之小而捷者。……不由徑、則動必以正、而無見小欲速之意可知)とある。
  • 非公事、未嘗至於偃之室也 … 『義疏』に「公事は、其の家の課税なり。偃は、子游の名なり。偃の室は、子游の住する所の邑の廨舎を謂うなり。子游又た言う、滅明は既に方正なり、若し常に公税の事に非ざれば、則ち嘗て無事にして偃の住処に至らざるなり。挙げて其の勢いに倚って朋友にたくれんとせざることを明らかにするなり、と」(公事、其家課税也。偃、子游名也。偃之室、謂子游所住邑之廨舍也。子游又言、滅明既方正、若非常公税之事、則不嘗無事至偃住處也。舉其明不託狎倚勢於朋友也)とある。また『注疏』に「公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるが若きは、是れ公なり。既に公にして且つ方なり。故に以て人を得たりと為す」(若非公事、未嘗至於偃之室、是公也。既公且方。故以爲得人)とある。また『集注』に「公事は、飲・射・読法の類の如し。……公事に非ざれば邑宰にまみえざれば、則ち其の以て自ら守ること有りて、己をげて人にしたがうの私無きこと見る可し」(公事、如飮射讀法之類。……非公事不見邑宰、則其有以自守、而無枉己徇人之私可見矣)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「政を為すは人才を以て先と為す。故に孔子人を得るを以て問と為す。滅明の如き者は、其の二事の小を観て、其の正大の情を見る可し。後世径に由らざる者有れば、人必ず以てと為す。其の室に至らざれば、人必ず以て簡と為す。孔氏の徒に非ざれば、其れたれか能く知りて之を取らん」(爲政以人才爲先。故孔子以得人爲問。如滅明者、觀其二事之小、而其正大之情可見矣。後世有不由徑者、人必以爲迂。不至其室、人必以爲簡。非孔氏之徒、其孰能知而取之)とある。
  • 『集注』に「愚謂えらく、身を持するに滅明を以て法と為せば、則ち苟賤こうせんはじ無からん。人を取るに子游を以て法と為せば、則ちじゃの惑い無からん」(愚謂、持身以滅明爲法、則無苟賤之羞。取人以子游爲法、則無邪媚之惑)とある。苟賤は、卑賤なさま。邪媚は、心がひねくれていて、人に媚びること。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「公事は、飲・射・読法の類の如し。行くに径に由らずは、智巧を事とせざるなり。公事に非ざれば、邑宰にまみえざるは、自ら守る所有るなり」(公事、如飮射讀法之類。行不由徑、不事智巧也。非公事、不見邑宰、有所自守也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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