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雍也第六 2 哀公問弟子孰爲好學章

121(06-02)
哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏回者、好學。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也。
哀公あいこうう、ていたれがくこのむとす。こうこたえていわく、顔回がんかいなるものり、がくこのむ。いかりをうつさず、あやまちをふたたびせず。こう短命たんめいにしてせり。いますなわし。いまがくこのものかざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「哀(殿)さまがきかれる、「お弟子でだれが学問ずきかね…。」孔先生のお答え ―― 「顔回というのがいて、学問ずきでした。やつあたりせず、二度としくじりません。おしいことに、若死にしました。いまはもうおりません。学問ずきは聞きませんです。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 哀公あいこうが「門人中だれが一番学問が好きか。」とたずねたとき、孔子は「顔回と申す者がござりまして、学問が好きでありました。そして腹を立てても八つ当りせず、同じあやまちを二度としませんでした。ところが不仕ふしあわせにも短命で亡くなりまして、今はこの世におりません。それ以外には本当に学問が好きと申すべき者を存じません。」とお答えした。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 哀公が先師にたずねられた。――
    「門人中で誰が一番学問が好きかな」
    先師がこたえられた。――
    「顔回と申すものがおりまして、たいへん学問が好きでありました。怒りをうつさない、過ちをくりかえさない、ということは、なかなかできることではありませんが、それが顔回にはできたのでございます。しかし、不幸にして短命でなくなりました。もうこの世にはおりません。顔回なきあとには、残念ながら、ほんとうに学問が好きだといえるほどの者はいないようでございます」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • この章の前半部分は「先進第十一6」にほぼ重出。
  • 哀公 … 魯の国の君主。名は蔣。哀はおくりな定公ていこうの子。前494年、孔子五十八歳のときに即位。ウィキペディア【哀公 (魯)】参照。
  • 弟子 … 「ていし」と読む。でし。門弟。
  • 孰為好学 … 「たれがくこのむとす」と読む。「す」は「みなす、思う」の意。「誰を学問好きと思いますか」と訳す。
  • 対曰 … 目上の人に答えるときに用いる。
  • 顔回 … 前521~前490。孔子の第一の弟子。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 有顔回者 … 「顔回がんかいなるものり」と読む。「有~者」は、「~なるものあり」と読み、「~という人がいて」と訳す。
  • 不遷怒 … 怒りにまかせて、八つ当たりしない。
  • 不弐過 … 「あやまちをふたたびせず」と読む。同じ過ちを繰り返さない。
  • 不幸短命死矣 … 「こう短命たんめいにしてせり」と読む。「不幸にも短命で死んでしまいました」と訳す。「矣」は、文末につけて断定をあらわす。訓読しない。
  • 今也則亡 … 「いますなわし」と読み、「今はもうこの世におりません」と訳す。「也」は「や」と読み、「~は」と訳す。
  • 未聞 … まだ聞いたことがない。「未」は再読文字。「いまだ~(せ)ず」と読み、「まだ~しない」と訳す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は顔回の徳を称す」(此章稱顏回之德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 哀公問、弟子孰為好学 … 『義疏』に「哀公孔子に問う、諸弟子の中、誰か学を好む者と為す、と」(哀公問孔子、諸弟子之中、誰爲好學者)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「魯君哀公孔子に問いて曰く、弟子の中、誰か学を好み楽しむ者と為す、と」(魯君哀公問於孔子曰、弟子之中、誰爲好樂於學者)とある。
  • 哀公問 … 『義疏』では「哀公問曰」に作る。
  • 顔回 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 孔子対曰、有顔回者、好学 … 『義疏』に「答えて曰く、弟子の中、唯だ顔回のみ学を好むこと有り、と」(答曰、弟子之中、唯有顏回好學)とある。また『注疏』に「孔子哀公に対えて曰く、弟子の顔回なる者有りて、其の人は学を好む、と」(孔子對哀公曰、有弟子顏回者、其人好學)とある。
  • 不遷怒、不弐過 … 『集解』の何晏の注に「凡人は情に任せ、喜怒理に違う。顔淵は道に任せ、怒るも分を過ぎず。遷とは、移なり。怒るも其の理に当たり、移り易わらざるなり。過ちをふたたびせずとは、不善有れば未だ嘗て復た行わざるなり」(凡人任情、喜怒違理。顏淵任道、怒不過分。遷者、移也。怒當其理、不移易也。不貳過者、有不善未嘗復行也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れは顔淵の学を好む分満ちて得る所の功を挙ぐるなり。凡夫は識くらくして、しんする所有りて、道理に当たらず、唯だ顔回の学しょに至りて、行蔵孔子に同じ、故に識照するに道を以てし、怒るも中にそむかず。故に云う、遷さず、と。遷は、猶お移のごときなり。怒ること必ず是れ理あり、遷移せざるなり。但だ機を照すこと能わず、機は己の得る所に非ず、故に己に於いて過ちを成す。凡そ情は過ち有るときは必ずかざる、是れ再び過ちを為す。而るに回は機の時に当たりて己を見ず、乃ち過ち有り、機の後には即ち知る。知るときは則ち復た文飾して以て之を行わず、是れふたたびせざるなり。故に易に云う、顔氏の子其れ庶幾にちかきか。不善有るときは未だ嘗て知らずんばあらず、之を知るときは未だ嘗て復た行わず、是れなり。然して学庶幾に至りて、其の美一に非ず、今独り怒過の二条を挙ぐることは、蓋し以為おもえらく当時哀公濫りに怒り弐び過ち有り、答えに因りて箴を寄せんと欲する者なり」(此舉顏淵好學分滿所得之功也。凡夫識昧、有所瞋怒、不當道理、唯顏回學至庶幾、而行藏同於孔子、故識照以道、怒不乖中。故云、不遷。遷、猶移也。怒必是理、不遷移也。但不能照機、機非己所得、故於己成過。凡情有過必文、是爲再過。而回當機時不見己、乃有過、機後即知。知則不復文飾以行之、是不貳也。故易云、顏氏之子其殆庶幾乎。有不善未嘗不知、知之未嘗復行、是也。然學至庶幾、其美非一、今獨舉怒過二條者、蓋有以爲當時哀公濫怒貳過、欲因答寄箴者也)とある。また『注疏』に「遷は、移なり。凡人は情に任せて、喜怒理に違う。顔回は道に任せ、怒りは分を過ぎずして、其の理に当たり、移易せず、怒りを遷さざるなり。人は皆過ち有れば改むるをはばかる。顔回は不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず。之を知りて未だ嘗て復たとは行わず、過ちを弐びせざるなり。……顔回は学を好むこと既に深く、至道を信用し、故に怒りは其の分理を過ぎざるを言うなり」(遷、移也。凡人任情、喜怒違理。顏回任道、怒不過分、而當其理、不移易、不遷怒也。人皆有過憚改。顏回有不善、未嘗不知。知之未嘗復行、不貳過也。……言顏回好學既深、信用至道、故怒不過其分理也)とある。また『集注』に「遷は、移なり。弐は、復なり。甲に怒る者は、乙へ移さず。前に過つ者は、後に復びせず。顔子の克己の功、此くの如きに至る。真に学を好むと謂う可し」(遷、移也。貳、復也。怒於甲者、不移於乙。過於前者、不復於後。顏子克己之功、至於如此。可謂眞好學矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不幸短命死矣 … 『義疏』に「凡そ応に死すべくして生くるを幸と曰い、応に生くるべくして死するを不幸と曰う。顔子の徳の若きは、応に死すべきに非ずしていま死す、故に不幸と曰うなり。命とは、天に禀けて得て以て生まるる所、天の教命を受くるが如きなり。天何をか言わんや。設けて之を言うのみ。但だ命に短長有り、顔生の得る所は短者なり。不幸にして死するは、短命に由るなり、故に曰く、不幸短命にして死せり、と」(凡應死而生曰幸、應生而死曰不幸。若顏子之德、非應死而今死、故曰不幸也。命者、禀天所得以生、如受天教命也。天何言哉。設言之耳。但命有短長、顏生所得短者也。不幸而死、由於短命、故曰不幸短命死矣)とある。また『注疏』に「凡そ事まさに失うべくして得るを幸と曰い、応に得べくして失うを不幸と曰う。悪人の横夭おうようは、則ち惟れ其の常なり。顔回は徳行を以て名を著せば、応に寿考を得べきに、而も反りて二十九にして髪は尽く白く、三十二にしてしゅっす。故に不幸短命にして死せりと曰う」(凡事應失而得曰幸、應得而失曰不幸。惡人橫夭、則惟其常。顏回以德行著名、應得壽考、而反二十九髮盡白、三十二而卒。故曰不幸短命死矣)とある。横夭は、若死に。また『集注』に「短命とは、顔子三十二にしてしゅっするなり」(短命者、顏子三十二而卒也)とある。
  • 今也則亡。未聞好学者也 … 『義疏』に「亡は、無なり。言うこころは顔淵既已すでに死すれば、則ち復た学を好む者無きなり。然るに游・夏は文学にして四科にあらわる、而るに之を称せず、便ち無しと謂うは、何ぞや。游・夏は之を体するの人に非ず、庶幾ちかきこと能わず、尚おうつすこと有りふたたびすること有り、われを喪ぼすにかかわるに非ず。唯だ顔生は隣亜なり、故に無しと曰うなり。学を好むに庶幾ちかきこと曠世こうせいに唯だひとりなり、此の士は重ねて得難し、故に未だ聞かざるなりと曰う」(亡、無也。言顏淵既已死、則無復好學者也。然游夏文學著於四科、而不稱之、便謂無者、何也。游夏非體之人、不能庶幾、尚有遷有貳、非關喪予。唯顏生鄰亞、故曰無也。好學庶幾曠世唯一、此士難重得、故曰未聞也)とある。また『注疏』に「亡は、無なり。言うこころは今は則ち学を好む者無く、未だ更に学を好む者有るを聞かざるなり」(亡、無也。言今則無好學者矣、未聞更有好學者也)とある。また『集注』に「既に今や則ち亡しと云い、又た未だ学を好む者を聞かずと言うは、蓋し深く之を惜しみ、又た以て真に学を好む者の得難きをあらわすなり」(既云今也則亡、又言未聞好學者、蓋深惜之、又以見眞好學者之難得也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「顔子の怒りは、物に在りて己に在らず。故に遷さず。不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず。之を知れば、未だ嘗て復た行わず。過ちをふたたびせざるなり」(顏子之怒、在物不在己。故不遷。有不善、未嘗不知。知之、未嘗復行。不貳過也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「喜怒は事に在れば、則ち理の当に喜怒すべき者なり。血気に在らざれば、則ち遷さず。舜の四凶を誅するが若きなり。怒る可きは彼に在り、己何ぞあずからん。鑑の物を照らすが如く、けん彼に在り、物に随いて之に応ずるのみ。何の遷すことか之れ有らん」(喜怒在事、則理之當喜怒者也。不在血氣、則不遷。若舜之誅四凶也。可怒在彼、己何與焉。如鑑之照物、妍媸在彼、隨物應之而已。何遷之有)とある。妍媸は、美しいことと醜いこと。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「顔子の地位の如きは、豈に不善有らんや。所謂不善は、只だ是れ微かに差失有り。わずかに差失あれば、便ち能く之を知る。纔かに之を知れば、便ち更にきざし作さず」(如顏子地位、豈有不善。所謂不善、只是微有差失。纔差失、便能知之。纔知之、便更不萌作)とある。
  • 『集注』に引く張載の注に「己にけんする者は、再びするをきざさしめず」(慊於己者、不使萌於再)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「或ひと曰く、詩書六芸、七十子、習いて通ぜざるに非ざるなり。而るに夫子独り顔子を称して、学を好むと為す。顔子の好む所は、果たして何の学なるや、と。程子曰く、学は以て聖人に至るの道なり、と。学の道は奈何、と。曰く、天地精をもうけ、五行の秀を得る者は人と為る。其の本なるや、真にして静、其の未だ発せざるや、五性具わる。曰く、仁義礼智信。形既に生じ、外物其の形に触れて、中に動く。其の中動きて七情出ず。曰く喜・怒・哀・懼・愛・・欲。情既にさかんにして益〻蕩し、其の性鑿す。故に覚者は其の情を約して、中に合わせしめ、其の心を正し、其の性を養うのみ。然らば必ず先ずこれを心に明らかにし、往く所を知り、然る後に力行して以て至るを求む。顔子の礼に非ざれば視聴言動すること勿かれ、怒を遷し過を弐びせざるが若きは、則ち其の之を好むこと篤くして、之を学びて其の道を得るなり。然れども其の未だ聖人に至らざる者は、之を守ればなり、之に化するに非ざるなり。之に仮すに年を以てせば、則ち日ならずして化せん。今の人は乃ち聖は本より生知なれば、学びて至る可きに非ずと謂い、学を為す所以の者は、記誦文辞の間に過ぎず、其れ亦た顔子の学に異なれり、と」(或曰、詩書六藝、七十子、非不習而通也。而夫子獨稱顏子、爲好學。顏子之所好、果何學歟。程子曰、學以至乎聖人之道也。學之道奈何。曰、天地儲精、得五行之秀者爲人。其本也、眞而靜、其未發也、五性具焉。曰仁義禮智信。形既生矣、外物觸其形、而動於中矣。其中動而七情出焉。曰喜怒哀懼愛惡欲。情既熾而益蕩、其性鑿矣。故覺者約其情、使合於中、正其心、養其性而已。然必先明諸心、知所往、然後力行以求至焉。若顏子之非禮勿視聽言動、不遷怒貳過者、則其好之篤、而學之得其道也。然其未至於聖人者、守之也、非化之也。假之以年、則不日而化矣。今人乃謂聖本生知、非學可至、而所以爲學者、不過記誦文辭之間、其亦異乎顏子之學矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し是の人怒る可きの事有るに因りて之を怒る。聖人の心は、本怒ること無きなりと。其の説虚無に流れて、聖人の心を論ずる所以に非ざるなり。夫れ喜怒は人心の用なり。聖人と雖も亦た以て人に異なること無きなり。唯だ衆人の喜怒は、一己の私に誘われて作る。聖人の喜怒は、乃ち仁義に由りて発す。己に在り物に在るの謂に非ざるなり。……蓋し其の人を愛するや深し、故に其の之を悪むや亦た益〻甚だし。……正心の説は、聖人の意に非ずして、聖人の教え、専ら仁を以て宗と為することを見る可きなり」(蓋因是人有可怒之事怒之。聖人之心、本無怒也。其説流于虚無、而非所以論聖人之心也。夫喜怒者人心之用也。雖聖人亦無以異於人也。唯衆人之喜怒、誘於一己之私而作。聖人之喜怒、乃由仁義而發。非在己在物之謂也。……蓋其愛人也深、故其悪之也亦益甚。……可見正心之説、非聖人之意、而聖人之教、專以仁爲宗也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「怒りを遷さずは、何晏曰く、怒ること其の理に当たって、移易せざるなり、と。非なり。朱註之を尽くせり。過ちをかさねず、弐は重ぬるなり。膳を弐ぬるの弐の如し。過って改めず、又た従って之をかざる、是れを過ちを重ぬと謂う。……人の情は、喜・怒・哀・楽・・欲、皆心の用たりと雖も、而も均しく視て並びに用う可からず。……故に君子なる者は慈愛楽易なるは是れ其の常にして、而うして唯だ怒りは君子の重く戒むる所たり。常人も亦たしかり。聖人と雖も亦た爾り。これを経に求めずして諸を理に断ず。程・朱・仁斎な之を失せり」(不遷怒、何晏曰、怒當其理、不移易也。非矣。朱註盡之。不貳過、貳重也。如貳膳之貳。過而不改、又從而文之、是謂重過。……人之情、喜怒哀樂惡欲、雖皆爲心之用、而不可均視並用焉。……故君子者慈愛樂易是其常、而唯怒爲君子之所重戒也。常人亦爾。雖聖人亦爾。不求諸經而斷諸理。程朱仁齋胥失之矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十