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公冶長第五 10 子曰吾未見剛者章

102(05-10)
子曰、吾未見剛者。或對曰、申棖。子曰、棖也慾。焉得剛。
いわく、われいま剛者ごうしゃず。あるひとこたえていわく、申棖しんとうあり。いわく、とうよくあり。いずくんぞごうなるをん。
現代語訳
  • 先生 ――「しっかり者には出会わぬ。」だれかがいう、「申棖は…。」先生 ――「棖くんのは、欲だ。なんでしっかりなものか。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が「わしはまだ剛者ごうしゃというべき人物を見たことがない。」と言われたので、ある人が「申棖しんとう」と指名した。孔子様がおっしゃるよう、「棖のようなよくりがどうして剛であり得ようぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない」
    するとある人がいった。――
    申棖しんとうという人物がいるではありませんか」
    先師は、いわれた。――
    とうは慾が深い。あんなに慾が深くては剛者にはなれないね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 剛者 … 意志の強い人間。強靭な精神を持ち、困難に屈しない人。
  • 或 … 「あるひと」と読む。
  • 申棖 … 生没年不詳。孔子の門人。姓は申、名は棖、また党、続、績、繢とも(詳しくは諸橋轍次「論語人物考」参照)。あざなは周、また子周。魯の人。ウィキペディア【申党】(中文)参照。なお、がえり善雄『論語新訳』では「棖」に「チョウ」とルビをふり、「トウと読む人もある」と注しているが、上記「現代語訳」ではルビを省いた。
  • 慾 … 欲が深い。
  • 焉 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読む。「どうして~であろうか、いや~でない」と訳す。反語の形。
補説
  • 『注疏』に「此の章は剛を明らかにす」(此章明剛)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 吾未見剛者 … 『義疏』に「剛は、性慾無き者を謂うなり。孔子言う、我未だ世に剛性無慾の人有るを見ざるなり、と」(剛、謂性無慾者也。孔子言、我未見世有剛性無慾之人也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「剛は質直にして理ある者を謂うなり。夫子時に皆じゅうねいなるを以て、故に吾れ未だ剛なる者を見ずと云う」(剛謂質直而理者也。夫子以時皆柔佞、故云吾未見剛者)とある。また『集注』に「剛は、堅強不屈の意。最も人の能くし難き所の者なり。故に夫子其の未だ見ざることを歎ず」(剛、堅強不屈之意。最人所難能者。故夫子歎其未見)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 或対曰、申棖 … 『史記』仲尼弟子列伝に「申党、字は周」(申黨、字周)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「申績は、字は子周」(申績、字子周)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『集解』に引く包咸の注に「申棖は、魯の人なり」(申棖、魯人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「或いは人有りて孔子の説を聞きて之に答えて云う、魯に姓は申、名は棖なる者有り、其の人は剛なり、と」(或有人聞孔子說而答之云、魯有姓申名棖者、其人剛也)とある。また『注疏』に「或る人孔子の言を聞き、乃ち対えて曰く、申棖の性は剛なり、と。……鄭云う、蓋し孔子の弟子、申続ならん、と。史記に云う、申棠、字は周なり、と。家語に云う、申続、字は周なり、と」(或人聞孔子之言、乃對曰、申棖性剛。……鄭云、蓋孔子弟子、申續。史記云、申棠、字周。家語云、申續、字周也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「申棖は、弟子の姓名なり」(申棖、弟子姓名)とある。
  • 子曰、棖也慾。焉得剛 … 『集解』に引く孔安国の注に「慾は、情慾多きなり」(慾、多情慾也)とある。また『義疏』に「孔子或る人に語りて曰く、夫れ剛は人性求むること無し。而して申棖の性情慾多し。情慾多き者、必ず人に求む。人に求むれば則ち是の剛を得ず。故に云う、焉んぞ剛を得ん、と」(孔子語或人曰、夫剛人性無求。而申棖性多情慾。多情慾者、必求人。求人則不得是剛。故云、焉得剛)とある。また『注疏』に「夫子或る人に謂いて言う、剛なる者は質直にして寡欲なり。今、棖也や情慾多し。情慾既に多きは、或いはひそかに佞媚すれば、安くんぞ剛なるを得んや、と」(夫子謂或人言、剛者質直寡欲。今棖也多情慾。情慾既多、或私佞媚、安得剛乎)とある。また『集注』に「慾は、よく多きなり。嗜慾多ければ、則ち剛たるを得ず」(慾、多嗜慾也。多嗜慾、則不得爲剛矣)とある。嗜慾は、見たい、聞きたい、食べたいなどという欲望。
  • 『集注』に引く程頤の注に「人慾有れば則ち剛無し。剛なれば則ち慾に屈せず」(人有慾則無剛。剛則不屈於慾)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「剛と慾とは正に相反す。能く物に勝つ、之れ剛と謂う。故に常に万物の上に伸ぶ。物の為におおわる、之れ慾と謂う。故に常に万物の下に屈す。古えより志有る者少なく、志無き者は多し。むべなり夫子の未だ見ざること。棖の慾は知る可からず。其の人とり、悻悻こうこうとして自ら好む者に非ざるを得んや。故に或る者疑いて以て剛と為すも、然れども此れ其の慾たる所以を知らざるのみ」(剛與慾正相反。能勝物之謂剛。故常伸於萬物之上。爲物揜之謂慾。故常屈於萬物之下。自古有志者少、無志者多。宜夫子之未見也。棖之慾不可知。其爲人、得非悻悻自好者乎。故或者疑以爲剛、然不知此其所以爲慾爾)とある。悻悻は、かっとして人に逆らうさま。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し情慾多ければ、則ち心にあきたらず。心に慊らざれば、則ち剛なること能わざるは、其の勢い然り。然れども世俗おおむね廉介狷直、僅かに其の一端を得る者を以て剛と為して、気を負い勝ちを好みて、悻悻として自ら好しとする者も、亦た剛を以て自ら居る。殊に知らず寛裕温柔、道義を以て自ら勝つ者にして、而る後に以て真の剛者と為す可きことを」(蓋多情慾、則不慊于心。不慊于心、則不能剛、其勢然也。然世俗類以廉介狷直、僅得其一端者爲剛、而負氣好勝、悻悻自好者、亦以剛自居。殊不知寛裕温柔、以道義自勝者、而後可以爲眞剛者也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「是れ直・剛・強各〻ことなるなり。……大氐たいてい勇は怯と対し、心にじざるを以て言い、強は弱と対し、力屈撓くっとうせざるを以て言う。故に強・勇は類を一にす。故に寛裕温柔にして道義を以て自ら勝つ者に非ざれば、強勇の至りと為すに足らざるなり。剛は柔と対し、其の質の果烈なるを以て言う。……蓋し剛の徳たる果烈にして、物能く之をおかすこと莫し。色に惑うに至っては、則ち時有ってか其の剛果を失す。故にいずくんぞ剛を得んと曰う。……則ち聖人に非ざれば未だ以て剛と為すに足らざるなり。然れども未だ聖人を以て剛と為す者を聞かず」(是直剛強各殊也。……大氐勇與怯對、以心不懼言、強與弱對、以力不屈撓言。故強勇一類。故非寛裕温柔以道義自勝者、不足爲強勇之至也。剛與柔對、以其質果烈言。……蓋剛之爲德果烈、物莫能干之。至於惑色、則有時乎失其剛果。故曰焉得剛。……則非聖人未足以爲剛也。然未聞以聖人爲剛者矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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