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里仁第四 26 子游曰事君數章

092(04-26)
子游曰、事君數、斯辱矣。朋友數、斯疏矣。
ゆういわく、きみつかえて数〻しばしばすれば、ここはずかしめらる。朋友ほうゆう数〻しばしばすれば、ここうとんぜらる。
現代語訳
  • 子游 ―― 「殿さまにも、うるさいのはきらわれる。友だちも、うるさいと遠のく。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ゆうが言うよう、「君につかえるにあまりしつこくすると、かろんじあなどられることになる。友と交わるにあまりしつこくすると、うとまれきらわれる。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ゆうがいった。――
    「君主に対して忠言の度がすぎると、きっとひどい目にあわされる。友人に対して忠告の度がすぎると、きっとうとまれる」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子游 … 前506~前443?。姓はげん、名はえん、子游はあざな。呉の人。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子夏とともに文章・学問に優れているとされた。武城の町の宰(長官)となった。ウィキペディア【子游】参照。
  • 君 … 君主。
  • 数 … 「しばしばす」と読む。何度も頻繁にすること。煩瑣にしつこくやること。
  • 斯 … 「すなわち」とほぼ同じ意。
  • 辱 … 「はずかしめらる」と受身に読む。かえって嫌われて恥をかく。
  • 朋友数 … 友人にしつこくする。
  • 疏 … 「うとんぜらる」と受身に読む。「疎」と同義。疎まれ嫌われる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は臣と為りて交わりを結ぶには、当に礼を以てようやくに進むべきを明らかにするなり」(此章明爲臣結交、當以禮漸進也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子游 … 『史記』仲尼弟子列伝に「言偃げんえんひとあざなは子游。孔子よりわかきこと四十五歳」(言偃呉人。字子游。少孔子四十五歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 事君数、斯辱矣 … 『集解』の何晏の注に「数は、速数の数を謂うなり」(數、謂速數之數也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「斯は、此なり。礼はせつを貴ばず。故に進止に儀有り。臣時に非ずして君にまみゆれば、此れ必ず恥辱を致す」(斯、此也。禮不貴䙝。故進止有儀。臣非時而見君、此必致恥辱)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「数は、速数を謂う。数〻しばしばすれば則ちけがして不敬なり、故に君に事えて数〻すれば、斯に罪辱を致すなり」(數、謂速數。數則瀆而不敬、故事君數、斯致罪辱矣)とある。また『集注』に引く程頤の注に「数は、煩数はんさくなり」(數、煩數也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 朋友数、斯疏矣 … 『義疏』に「朋友時に非ずして相往くこと数〻しばしばすれば、必ず疏辱を致すなり。一に云う、言うこと数〻するは、はかりごと数〻するなり。君臣に計数〻するは、必ず危辱を致す。朋友に計数〻するは、必ず疏絶を致すなり、と」(朋友非時而相往數、必致疏辱也。一云、言數、計數也。君臣計數、必致危辱。朋友計數、必致疏絶也)とある。また『注疏』に「朋友に数〻すれば、斯に疏薄せらるるなり」(朋友數、斯見疏薄矣)とある。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「君に事え諫めの行わざれば、則ち当に去るべし。友を導きて善のれられざれば、則ち当に止むべし。煩瀆はんとくに至れば、則ち言う者軽く、聴く者いとう。是を以て栄を求めて反って辱められ、親を求めて反って疏んぜらるるなり」(事君諫不行、則當去。導友善不納、則當止。至於煩瀆、則言者輕、聽者厭矣。是以求榮而反辱、求親而反疏也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「君臣・朋友、皆義を以て合す。故に其の事同じなり」(君臣朋友、皆以義合。故其事同也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ言うこころは君に事え友に交わるに、皆当に礼を以て進むべし。若し褻狎せっこうろう屢〻しばしば相往来して、煩数はんさくに至らば、則ち臣と為りては辱めを取り、友と為りては疏んぜらる。当に自ら戒むべきなり。故に君に事うる者は、堯舜の道に非ざれば、敢えて以て陳べざるは、則ち辱められざらん。朋友と交わるに、文を以て友と会し、友を以て仁をたすけば、則ち疏んぜられざらん」(此言事君交友、皆當以禮進也。若褻狎戲弄、屢相往來、至於煩數焉、則爲臣取辱、爲友見疏。當自戒也。故事君者、非堯舜之道、不敢以陳、則不辱矣。與朋友交、以文會友、以友輔仁、則不疏矣)とある。褻狎は、過度になれなれしくすること。戯弄は、戯れ遊ぶこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「君に事うるに数〻しばしばすれば、数は必ず古言ならん。屢〻しばしば諫むるを謂うなり。朱註之を得たりと為す。蓋し人は言を以てさとす可からざるなり。自ら之をるを貴ぶなり。ふん啓発の如き、以て見る可きのみ。孟子の言語を以てきょうかつせしより、而うしてのちの義ついほろべり。仁斎先生は古註に拠りて煩数はんさくの義と為して、曰く、褻狎せっこうろう屢〻しばしば相往来して、煩数に至る。臣の君に於ける、職守の在る有り、豈に屢〻相往来するを以て之を言う可きや。士の学に居るは、これを百工はに居るに此すれば、則ち朋友の筆硯ひっけんを同じうする者ひさし。何ぞただに屢〻相往来するのみならんや。其の失は亦た古言を識らず、而うしてだ字義を以て解するにするのみ」(事君數、數必古言。謂屢諫也。朱註爲得之。蓋人不可以言喩也。貴自得之也。如憤悱啓發、可以見已。自孟子以言語強聒、而後斯義遂泯矣。仁齋先生據古註爲煩數之義、曰褻狎戲弄、屢相徃來、至於煩數焉。臣之於君、有職守在、豈可以屢相徃來言之哉。士之居學、此諸百工居肆、則朋友同筆硯者尚矣。何翅屢相徃來已乎哉。其失亦坐不識古言、而徒以字義解已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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