>   論語   >   里仁第四   >   14

里仁第四 14 子曰不患無位章

080(04-14)
子曰、不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。
いわく、くらいきをうれえず、所以ゆえんうれう。おのれきをうれえず、らるきをすをもとむるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「地位はなくてもいいが、いくじがなくてはこまる。知られなくてもいいが、知られるようなことをしたいもの。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「地位のないことを心配するな、役に立つだけの実質なきことを心配せよ。人が知ってくれぬことを心配するな、知られるだけの事をするようにつとめよ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 学而第一16」「憲問第十四32」「衛霊公第十五18」と同じ趣旨。
  • 位 … 地位。
  • 患 … 思い悩む。心配する。
  • 所以立 … 地位を得る理由。「所以」は、理由。ここでは、地位を得るだけの実力がないことを指す。
  • 莫 … ない。「無」に同じ。
  • 可知 … ここでは「知らるべき」と受身に読む。
補説
  • 『注疏』に「此の章は学を勧むるなり」(此章勸學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不患無位、患所以立 … 『義疏』に「時多く爵位無きを患う。故に孔子之を抑うるなり。言うこころは何ぞ位無きを患えんや。但だ己の才闇くして、徳以て位に処り立つこと無きを患うるのみ」(時多患無爵位。故孔子抑之也。言何患無位。但患己才闇、無德以處立於位耳)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「爵位を憂えざるを言うなり。言うこころは但だ其の身を立つるの才学無きを憂うるのみ」(言不憂爵位也。言但憂其無立身之才學耳)とある。また『集注』に「立つ所以は、其の位に立つ所以の者を謂う」(所以立、謂所以立乎其位者)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 患所以立 … 宮崎市定は「所」を「無」に改め、「以て立つ無きを患う」(患無以立)と訓読している。『論語の新研究』85頁以下参照。
  • 不患莫己知、求為可知也 … 『集解』に引く包咸の注に「善道を求めて之を学び行けば、則ち人は己を知るなり」(求善道而學行之、則人知己也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「又た言う、若し才伎有らば、則ち人に知られざるを患えざるなり。故に云う、己を知ること莫きを患えず、と。若し人に知られんことを得ることを欲すれば、唯だ当に先ず才伎を学びて、人の知るに足らしむべし、故に云く、知らる可きを為さんことを求めよ、と」(又言、若有才伎、則不患人不見知也。故云、不患莫己知也。若欲得人見知、唯當先學才伎、使足人知、故云求爲可知也)とある。また『注疏』に「言うこころは人の己を知らるる無きを憂えざるなり。言うこころは善道を求めて之を学び行い、己の才学をして知りて重んず可きこと有らしめば、則ち人己を知るなり」(言不憂無人見知於己也。言求善道而學行之、使己才學有可知重、則人知己也)とある。また『集注』に「知らる可きは、以て知らる可きの実を謂う」(可知、謂可以見知之實)とある。
  • 求為可知也 … 宮崎市定は「求為」を「患無」に改め、「知らるべき無きを患うるなり」(患無可知也)と訓読している。
  • 『集注』に引く程頤の注に「君子は其の己に在る者を求むるのみ」(君子求其在己者而已矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此の章も亦た聖人の常言、学者の準則、聴受佩服せざる可からず」(此章亦聖人之常言、學者之準則、不可不聽受佩服焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十