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八佾第三 21 哀公問社於宰我章

061(03-21)
哀公問社於宰我。宰我對曰、夏后氏以松、殷人以栢、周人以栗。曰、使民戰栗。子聞之曰、成事不説、遂事不諫、既往不咎。
哀公あいこうしゃさいう。さいこたえていわく、こうまつもってし、殷人いんひとはくもってし、しゅうひとくりもってす。いわく、たみをして戦栗せんりつせしむ。これきていわく、せいかず、すいいさめず、おうとがめず。
現代語訳
  • 哀(殿)さまがお宮のことを宰我(サイガ)にきかれる。宰我のお答え ―― 「夏(カ)の王さまは松、殷(イン)の時代にはヒノキ、周はクリの木を植えています。『ビックリさせる』んだそうで…。」先生がそれをきかれ ―― 「できた事はいうまい。やった事は見のがそう。すぎた事は責めまい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 哀公あいこうが社の神木しんぼくについてさいにたずねたとき、宰我が「の時代にはしょうを用い、いんの時代にははくを用い、しゅうになってからりつを用いるようになりました。それは人民を戦慄せんりつさせる、という意味であります。」と答えた。孔子様がそのことを聞いておっしゃるよう、「出来たことは言うまい、んだことはいさめまい、過去はとがめまいが、将来はさようなけいなこじつけを申すまいぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 哀公あいこうさいに社の神木についてたずねられた。宰我がこたえた。――
    の時代にはしょうを植えました。いんの時代にははくを植えました。周の時代になってからは、りつを植えることになりましたが、それは人民を戦慄せんりつさせるという意味でございます」
    先師はこのことをきかれて、いわれた。――
    「できてしまったことは、いっても仕方がない。やってしまったことは、いさめても仕方がない。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 哀公 … 魯の国の君主。名は蔣。哀はおくりな定公ていこうの子。前494年、孔子五十八歳のときに即位。ウィキペディア【哀公 (魯)】参照。
  • 社 … 土地の神を祀るやしろ
  • 宰我 … 前522~前458(一説に前489)。姓は宰、名は予、あざなは子我。孔門十哲のひとり。魯の人。「言語には宰我・子貢」と評され、弁舌にすぐれていた。後に斉のりんの大夫となった。ウィキペディア【宰我】参照。
  • 夏后氏 … 夏王朝のこと。
  • 殷人 … 殷王朝のこと。
  • 周人 … 周王朝のこと。
  • 民 … 一般民衆。
  • 戦栗 … 戦慄。恐れおののく。
  • 成事 … できてしまったこと。
  • 遂事 … 済んでしまったこと。
  • 既往 … 過ぎ去ったこと。「成事」「遂事」「既往」の三語は、ほぼ同義。
補説
  • 『注疏』に「此の章は社を立つるに用うる所の木を明らかにするなり」(此章明立社所用木也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 哀公問社於宰我 … 『義疏』に「社は、社稷なり。哀公、社稷之に種うるに同じからざるを見る。故に宰我に問うなり。哀公は、魯君なり。宰我は、孔子の弟子なり。姓は宰、名は予、字は子我なり」(社、社稷也。哀公見社稷種樹之不同。故問宰我也。哀公、魯君也。宰我、孔子弟子。姓宰、名予、字子我也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「哀公は、魯君なり。社は、五土の神なり。凡そ邦を建て社を立つるには、各〻其の土の宜しき所の木を以てす。哀公は未だ其の礼を知らず、故に弟子の宰我に問うなり」(哀公、魯君也。社、五土之神也。凡建邦立社、各以其土所宜木。哀公未知其禮、故問於弟子宰我也)とある。また『集注』に「宰我は、孔子の弟子なり。名は予」(宰我、孔子弟子。名予)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 問社 … 『義疏』に「鄭の論の本に主を問うと云うなり」(鄭論本云問主也)とある。また『経典釈文』に「鄭本は主に作る」(鄭本作主)とある。『経典釈文』(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)参照。
  • 宰我 … 『孔子家語』七十二弟子解に「宰予は、あざなは子我、ひと口才こうさい有りて名を著す」(宰予、字子我、魯人。有口才著名)とある。口才は、弁舌の才能に優れていること。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「宰予、字は子我。利口べんなり」(宰予字子我。利口辯辭)とある。弁辞は、弁舌に長けていること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 宰我対曰、夏后氏以松、殷人以栢、周人以栗 … 『義疏』に「宰我社稷の樹に答う。三代居る所同じからず。故に松柏の異有るなり。然して夏は夏后氏と称し、殷・周は人と称する者なり。白虎通に曰く、夏は揖譲を以て禅を受けて君と為る。故に之を褒めて后と称す。后は君なり。又た其の世を重んず。故に氏之に係るなり。殷・周は干戈を以て天下を取る。故におとしめて人と称するなり、と。白虎通に又た云う、夏は禅授を得。是れ君之を与う。故に后と称するなり。殷・周は人民の心に従いて之を取る。是れ人に由りて之を得。故に人と曰うなり、と」(宰我答社稷樹。三代所居不同。故有松柏之異也。然夏稱夏后氏、殷周稱人者。白虎通曰、夏以揖讓受禪爲君。故褒之稱后。后君也。又重其世。故氏係之也。殷周以干戈取天下。故貶稱人也。白虎通又云、夏得禪授。是君與之。故稱后也。殷周從人民之心而取之。是由人得之。故曰人也)とある。また『注疏』に「三代の社を立つるや、各〻其の土の宜しき所の木を以てす、故に宰我之を挙げて、以て哀公に対うるなり」(三代立社、各以其土所宜木、故宰我舉之、以對哀公也)とある。また『集注』に「三代の社の同じからざるは、古えは社を立つるに、各〻其の土の宜しき所の木をえ以て主と為せばなり」(三代之社不同者、古者立社、各樹其土之所宜木以爲主也)とある。
  • 曰、使民戦栗 … 『集解』に引く孔安国の注に「凡そ邦を建て社を立つるは、各〻其の土の宜しき所の木を以てす。宰我其の意に本づかず、妄りに之が説を為し、周の栗を用うるに因りて、便ち使民をして之を戦栗せしむるなりと云う」(凡建邦立社、各以其土所宜之木。宰我不本其意、妄爲之說、因周用栗、便云使民戰栗之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「曰とは、謂なり。宰我は哀公の徳を失い、民畏服せず、戦栗しょうけいの心無きを見る。今微かに哀公を諷し、徳を改めて行を修めしめんと欲す。故に三代の木を答えうるに因りて、又た周の樹栗を用うるの義を矯するなり。言うこころは周人栗を用うる所以は、栗を種えて、民をして戦栗せしめんと欲するが故を謂うなり。今の君は是れ周人にして、社に既に栗を種う、而るに民戦栗ならざることは、何ぞや。然るに曰を謂いて謂と為すことは、猶お曰は未だ仁ならず、及び之を如何と曰わざるの類のごときなり」(曰者、謂也。宰我見哀公失德、民不畏服、無戰栗悚敬之心。今欲微諷哀公、使改德修行。故因於答三代木竟、而又矯周樹用栗之義也。言周人所以用栗、謂種栗、而欲使民戰栗故也。今君是周人、而社既種栗、而民不戰栗、何也。然謂曰爲謂者、猶曰者未仁、及不曰如何之類也)とある。また『注疏』に「但だ宰我は其の土の宜の意に本づかず、周の栗を用うるに因り、便ち妄りに之が説を為して曰く、周人の栗を以てするは、其の民をして戦栗せしめんと欲するが故なり、と」(但宰我不本其土宜之意、因周用栗、便妄爲之説曰、周人以栗者、欲使其民戰栗故也)とある。また『集注』に「戦栗は、恐懼の貌。宰我又た言う、周の栗を用うる所以の意は此くの如し、と。豈に古えは人を社にりくするを以て、故に其の説にかいするか」(戰栗、恐懼貌。宰我又言、周所以用栗之意如此。豈以古者戮人於社、故附會其說與)とある。
  • 戦栗 … 『義疏』では「戦栗也」に作る。
  • 子聞之曰 … 『義疏』に「孔子宰我の説の、民をして戦栗ならしめんというの言を聞くなり」(孔子聞宰我之説、使民戰栗之言也)とある。
  • 成事不説 … 『集解』に引く包咸の注に「事已に成れば、復た解説す可からざるなり」(事已成、不可復解說也)とある。また『義疏』に「聞きて宰我に説くなり。言うこころは栗をうるは是れ土に随いて宜しき所なり。此れ事の成三代に著る。汝今妄りに説きて曰く、民をして戦栗せしむ、と。是れ礼政を壊る。故に云う、成事は説かず、と」(聞而說宰我也。言種栗是隨土所宜。此事之成著乎三代。汝今妄說曰、使民戰栗。是壞於禮政。故云、成事不說也)とある。
  • 遂事不諫 … 『集解』に引く包咸の注に「事已に遂ぐれば、復た諫止す可からざるなり」(事已遂、不可復諫止也)とある。また『義疏』に「此れ哀公を指すなり。言うこころは哀公悪を為すこと己に久しうして民戦栗せず。其の事畢わり遂ぐ。此れ豈に汝之れ諫止す可けんや」(此指哀公也。言哀公爲惡己久而民不戰栗。其事畢遂。此豈汝之可諫止也)とある。また『集注』に「遂事は、事未だ成らざると雖も、勢いむ能わざる者を謂う」(遂事、謂事雖未成、而勢不能已者)とある。
  • 既往不咎 … 『集解』に引く包咸の注に「事已に往けば、復た追いてそしり咎む可からざるなり。孔子宰我を非り、故についで三者を言う。其の後を慎しましめんと欲するなり」(事已往、不可復追非咎也。孔子非宰我、故歴言三者。欲使愼其後也)とある。また『義疏』に「此れ宰我をしりぞくなり。言うこころは汝樹の意に本づかずして、妄りに他説を為す。若し余人此の説を為さば、則ち為にきゅうせきす可し。今汝好んで謬失を為す。而れども此の事既已すでに往けり。吾復た汝と追咎せざるなり。是れ咎の深きなり。猶お予に於いてか何ぞめんというの類のごときなり」(此斥宰我也。言汝不本樹意、而妄爲他說。若餘人爲此說、則爲可咎責。今汝好爲謬失。而此事既已往。吾不復追咎汝也。是咎之深也。猶於予與何誅之類也)とある。また『注疏』に「孔子は宰我の哀公に民をして戦栗せしむと対うるを聞き、其の虚妄の之を如何ともする無きを知る。故に曰く、事の已に成りたるは、復た解説す可からざるなり。事の已に遂げたるは、復た諫止す可からざるなり。事の已に往きたるは、復たついきゅうす可からざるなり、と。此の三者を歴言して、以て之を非とし、其の後を慎ましめんと欲するなり」(孔子聞宰我對哀公使民戰栗、知其虚妄無如之何。故曰、事已成、不可復解説也。事已遂、不可復諫止也。事已往、不可復追咎也。歴言此三者、以非之、欲使愼其後也)とある。また『集注』に「孔子、宰我のこたうる所は、社を立つるの本意に非ず、又た時君の殺伐の心をひらくも、其の言已に出で、復た救う可からざるを以て、故に此を歴言れきげんし以て深く之を責め、其の後を謹ましめんと欲するなり」(孔子以宰我所對、非立社之本意、又啓時君殺伐之心、而其言已出、不可復救、故歴言此以深責之、欲使謹其後也)とある。歴言は、順次に説明すること。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「古えは各〻宜しき所の木を以て其の社に名づく。義を木に取るに非ざるなり。宰我知らずして妄りに対う。故に夫子之を責む」(古者各以所宜木名其社。非取義於木也。宰我不知而妄對。故夫子責之)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「三木は皆老蒼ろうそう堅強、地に随って能く生ず。故に三代国を建つる、王朝より侯国に至るまで、之を植えて以て社の主と為す。……人君の徳は、民を愛するより大なるは莫し。故に古えの君子は、人君と言うに、必ず民を愛することを以て本と為し、民を救うことを急と為す。……故に人君殺伐の心をひらく可き者は、君子之を言うことをむ」(三木皆老蒼堅強、隨地能生。故三代建國、自王朝至於侯國、植之以爲社主。……人君之德、莫大於愛民。故古之君子、與人君言、必以愛民爲本、救民爲急。……故可啓人君殺伐之心者、君子諱言之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「今按ずるに、れんの主に栗を用うること、伝記に見ゆれば、則ち主に作るを是と為す。民をして戦栗せしむるは、敬するなり。是れ宰我意を以て之を解するなり。成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず、三句は古語、孔子之を誦して、以て宰我を責む。蓋し主に栗を用うる、其の義は伝わらず。若し意を以て之が解を為さば、穿鑿せんさくかいの、由って興る所なり。故に孔子は取らざるのみ。……是れ仁斎の意に、社主の制、天下に通ずと謂い、故に土宜の説を取らず。朱子は孔子の宰我を責むる所以の意を求めて得可からざれば、則ちかたわら人を社に戮するの義をる。是れ豈に宰我の附会ならんや。夫れ周の栗を用うる、其の義は当時に在りて、宰我既已すでに知らず、而して数百載の後、孔安国之を言い、千有余載の後、朱子又た之を言う。豈に臆断に非ずや。孔子をして之を聞かしむれば、豈に宰我を責むる者を以て之を責めざらんや。あまねく它書を考うるに、ふんしゃ櫟社れきしゃ有り。而して必ずしも皆松柏と栗とにあらざれば、則ち社主の天下に通ずるとはなり。且つ社は豈に主有らんや。天を祀るには郊の円丘に於いてし、地には方沢に於いてし、名山大山たいせんと社稷と、皆類するのみ。其の主無きことあきらかなり。且つ松・柏・栗の社たること、ちょう無きなり。練の主に栗を用うるは、徴有るなり。故に彼をてて是れに従う」(今按、練主用栗、見於傳記、則作主爲是。使民戰栗、敬也。是宰我以意解之。成事不説、遂事不諫、既往不咎、三句古語、孔子誦之、以責宰我。蓋主用栗、其義不傳。若以意爲之解、穿鑿傅會、所由興也。故孔子不取爾。……是仁齋意、謂社主之制、通於天下、故不取土宜之説。朱子求孔子所以責宰我之意不可得、則旁采戮人於社之義。是豈宰我之附會哉。夫周用栗、其義在當時、宰我既已不知、而數百載之後、孔安國言之、千有餘載之後、朱子又言之。豈非臆斷乎。使孔子聞之、豈不以責宰我者責之邪。旁考它書、有枌楡社櫟社。而不必皆松柏與栗、則社主通於天下者非矣。且社豈有主哉。祀天於郊圓丘、地於方澤、名山大山與社稷、皆類焉耳。其無主者審矣。且松柏栗之爲社、無徴也。練主用栗、有徴也。故舍彼而從是)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十