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八佾第三 8 子夏問章

048(03-08)
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也。子曰、繪事後素。曰、禮後乎。子曰、起予者商也。始可與言詩已矣。
子夏しかいていわく、こうしょうせんたり、もくはんたり、もっあやすとは、なんいいぞや。いわく、ことのちにす。いわく、れいのちなるか。いわく、われおこものしょうなり。はじめてともきのみ。
現代語訳
  • 子夏がたずねる、「『ニッコリえくぼ、パッチリまなこ、オシロイまぶしや』って、なんですか…。」先生 ――「絵は白でしあげるよ。」 ―― 「礼儀もしあげですね…。」先生 ――「商(子夏)くんには教えられるね。かれとなら詩の話ができるわい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏しかが「詩に『笑いじょうあいきょうえくぼ、美しい目がパッチリと、おしろいつけてさてもあでやか。』とあるのは、何の意味でござりますか」とおたずねした。孔子様が「絵でいえば、まず彩色さいしきをして最後にごふんで仕上げをするようなものじゃ。」と言われた。すると子夏が「なるほど礼は仕上げでござりますな」と言ったので孔子様が感心しておっしゃるよう、「わしも教えられる。商よ、お前は詩の話せる男かな。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏しかが先師にたずねた。――
    「笑えばえくぼが愛くるしい。
    眼はぱっちりと澄んでいる。
    それにお化粧けしょが匂ってる。
    という歌がありますが、これには何か深い意味がありましょうか」
    先師がこたえられた。
    「絵の場合でいえば、見事な絵がかけて、その最後の仕上げにふんをかけるというようなことだろうね」
    子夏がいった。――
    「なるほど。すると礼は人生の最後の仕上げにあたるわけでございましょうか。しかし、人生の下絵が立派でなくては、その仕上げにはなんのねうちもありませんね」
    先師が喜んでいわれた。――
    しょうよ、おまえには私も教えられる。それでこそいっしょに詩の話ができるというものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 巧笑 … 愛らしく笑う。
  • 倩兮 … 口もとが可愛らしいさま。「兮」は、感嘆や強調の語気をあらわす助辞で、読まない。
  • 美目 … 目もとの美しい目。
  • 盼 … 黒目と白目との境界がはっきりしているさま。目元が涼しいさま。
  • 素 … ふんで下地を塗ること。
  • 絢 … あや。美しい綾模様を施すこと。
  • 何謂也 … どういう意味でありましょうか。
  • 絵事後素 … 絵を描くときは、胡粉(白色の顔料)を一番あとに加える。朱子は「絵事は素より後にす」と逆に読んでいる。
  • 礼後乎 … 礼は最後の仕上げですか。
  • 起予者商也 … 私の言わんとするところを言ってくれるのは、商(子夏)だ。「起」は、啓発。
  • 始可與言詩已矣 … お前となら、ともに「詩」を語り合える。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人と成るには礼をつを言うなり」(此章言成人須禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮、何謂也 … 上二句は『詩経』衛風・碩人の詩に見える。ウィキソース「詩經/碩人」参照。ただし最後の一句「素以為絢兮」は見えない。また『集解』に引く馬融の注に「倩は、笑う貌。盼は、目を動かす貌なり。絢は、文の貌なり。此の上の二句は、衛風碩人の二章に在り、其の下一句は逸せり」(倩、笑貌。盼、動目貌也。絢、文貌也。此上二句、在衞風碩人之二章、其下一句逸也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。なお、この碩人の詩は各七句ずつの四章構成なので、「素以為絢兮」を補うと八句になってしまう。また『義疏』に「此れは是れ衛風・碩人、荘姜をあわれむの詩なり。荘姜かたち有り礼有るも、衛侯徳を好まずしてむくいず。故に衛人之を閔れむなり。巧咲は、わらうことの美なる者なり。倩は、巧みに咲うかたちなり。言うこころは人のあわれむ可きは、則ち咲うこと巧みにしてかたち倩倩然なり。美目は、目の美なる者なり。はんは、目を動かす貌なり。人の怜れむ可しと言うは、則ち目美にしてかたち盼盼然なり。素は、白なり。絢は、あやある貌なり。白色を用いて以て五采に分間し、文章を成さしむるを謂うなり。言うこころは荘姜は既に盼倩はんせんかたち有り、又た礼自ら能く結束すること有り、し五采は白を得て分間すれば、乃ち文章は分明なり。子夏詩を読み、此の語に達せず、故に何のいいぞやと云い、以て孔子に問うなり」(此是衞風碩人閔莊姜之詩也。莊姜有容有禮、衞侯不好德而不答。故衞人閔之也。巧咲、咲之美者也。倩、巧咲貌也。言人可怜、則咲巧而貌倩倩然也。美目、目之美者也。盼、動目貌也。言人可怜、則目美而貌盼盼然也。素、白也。絢、文貌也。謂用白色以分間五采、使成文章也。言莊姜既有盼倩之容、又有禮自能結束、如五采得白分間、乃文章分明也。子夏讀詩、不達此語、故云何謂、以問孔子也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「倩は、笑うかたち。盼は、目を動かす貌。絢は、あやある貌なり。此れ衛風碩人の篇、荘姜は美なれども答えられざるをあわれむの詩なり。荘姜には既に巧笑・美目・倩盼のかたち有り、又た能く礼を以て文を成すこと絢然なるを言う。素は、礼を喩うるなり。子夏詩を読み、此の三句に至り、其の旨に達せず、故に夫子の何のいいかを問うなり」(倩、笑貌。盼、動目貌。絢、文貌。此衞風碩人之篇、閔莊姜美而不見答之詩也。言莊姜既有巧笑美目倩盼之容、又能以禮成文絢然。素、喩禮也。子夏讀詩、至此三句、不達其旨、故問夫子何謂也)とある。また『集注』に「此れ逸詩なり。倩は、口輔きなり。盼は、目の黒白分かるるなり。素は、粉地、画の質なり。絢は、采色、画の飾なり。言うこころは人此の倩盼の美質有りて、又た加うるに華采の飾りを以てすること、素地有りて采色を加うるが如きなり。子夏は其の反って素を以て飾りと為すと謂えるかと疑う。故に之を問う」(此逸詩也。倩、好口輔也。盼、目黑白分也。素、粉地、畫之質也。絢、采色、畫之飾也。言人有此倩盼之美質、而又加以華采之飾、如有素地而加采色也。子夏疑其反謂以素爲飾。故問之)とある。逸詩は、ぬけおちて現存の『詩経』に収められていないもの。口輔は、口元。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 盼 … 『義疏』では「盻」に作るが誤り。「盻」は、憎しみをこめて見ることの意。
  • 子曰、絵事後素 … 『集解』に引く鄭玄の注に「絵は、文を画くなり。凡そ絵を画くは、先ず衆色をき、然る後に素を以て其の間に分ちて、以て其の文を成す。美女に倩盼・美質有りと雖も、亦た礼をちて以て之を成すを喩うるなり」(繪、畫文也。凡畫繪、先布衆色、然後以素分其間、以成其文。喩美女雖有倩盼美質、亦須禮以成之也)とある。また『義疏』に「子夏に答うるなり。絵は、画くなり。言うこころは此の上の三句は、是れ美なる人先ず其の質有ることを明らかにし、後、其の礼をちて以て自ら約束す。し画く者先ず衆采蔭映をくと雖も、然れども後必ず白色を用いて以て之を分間すれば、則ち画文分明なり。故に絵の事は素を後にすと曰うなり。又た刺縫して文を成すをば、則ち之を繡と謂う。之を画きて文を成すをば、之を謂いて絵と為すなり」(答子夏也。繪畫也。言此上三句、是明美人先有其質、後須其禮以自約束。如畫者先雖布衆采蔭映、然後必用白色以分間之、則畫文分明。故曰繪事後素也。又刺縫成文、則謂之繡。畫之成文、謂之爲繪也)とある。また『注疏』に「孔子喩えを挙げて以て子夏に答うるなり。絵は、文を画くなり。凡そ絵の画は先ず衆色をき、然る後に素を以て其の間に分布して、以て其の文を成す。美女に倩・盼の美質有りと雖も、亦た礼をちて以て之を成すに喩うるなり」(孔子舉喩以答子夏也。繪、畫文也。凡繪畫先布衆色、然後以素分布其間、以成其文。喩美女雖有倩盼美質、亦須禮以成之也)とある。また『集注』に「絵の事は、絵画の事なり。素を後にすは、素より後にするなり。考工記に曰く、絵画の事は、素功より後にす、と。先ず粉地を以て質と為し、而る後に五采を施すを謂う。猶お人に美質有りて、然る後文飾を加うる可きがごとし」(繪事、繪畫之事也。後素、後於素也。考工記曰、繪畫之事、後素功。謂先以粉地爲質、而後施五采。猶人有美質、然後可加文飾)とある。
  • 曰、礼後乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「孔子絵の事は素を後にすと言う。子夏聞きて解きて素を以て礼に喩うるを知る。故に曰く、礼は後か、と」(孔子言繪事後素。子夏聞而解知以素喩禮。故曰、禮後乎)とある。また『義疏』に「子夏孔子の絵の事は素を後にすと云うを聞きて、而して特に人はあわれむ可しと雖も、必ず後に礼を用うるに喩うることを解く。故に云う、礼は後か、と」(子夏聞孔子云繪事後素、而解特喩人雖可怜、必後用禮。故云禮後乎)とある。また『注疏』に「此れ子夏の語なり。子夏は孔子の絵の事は素を後にすと言うを聞き、即ち其の旨を解し、素を以て礼に喩うるを知る、故に礼は後なるかと曰う」(此子夏語。子夏聞孔子言繪事後素、即解其旨、知以素喩禮、故曰禮後乎)とある。また『集注』に「礼は必ず忠信を以て質と為す。猶お絵の事の必ず粉素を以て先と為すがごとし」(禮必以忠信爲質。猶繪事必以粉素爲先)とある。
  • 子曰、起予者商也。始可与言詩已矣 … 『集解』に引く包咸の注に「予は、我なり。孔子言うこころは、子夏能く我が意を発明し、与に共に詩を言う可きのみ」(予、我也。孔子言、子夏能發明我意、可與共言詩已矣)とある。また『義疏』に「起は、発なり。予は、我なり。孔子は但だ絵の事は素を後にすと言う。而るに子夏仍りて素を以て礼に喩うるを知る。是れ詩人の旨、以て我が談を起発するに達す。故に始めて与に詩を言う可きなり」(起、發也。予、我也。孔子但言繪事後素。而子夏仍知以素喩禮。是達詩人之旨、以起發我談。故始可與言詩也)とある。また『注疏』に「起は、発なり。予は、我なり。商は、子夏の名なり。孔子言う、能く我が意を発明する者は、是れ子夏なれば、始めて与に共に詩を言う可きなり、と」(起、發也。予、我也。商、子夏名。孔子言、能發明我意者、是子夏也、始可與共言詩也)とある。また『集注』に「起こすは、猶お発するがごとし。予を起こすは、能く我が志意を起発するを言うなり」(起、猶發也。起予、言能起發我之志意)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「子貢は学を論ずるに因りて詩を知り、子夏は詩を論ずるに因りて学を知る。故に皆ともに詩を言う可し」(子貢因論學而知詩、子夏因論詩而知學。故皆可與言詩)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「甘は和を受け、白は采を受く。忠信の人、以て礼を学ぶ可し。いやしくも其の質無ければ、礼は虚しくは行われず。此れ絵の事は素より後にするの説なり。孔子は絵の事は素より後にすと曰いて、子夏は礼は後かと曰うは、能く其の志を継ぐと謂う可し。之を言意の表に得る者に非ざれば、之を能くせんや。商・賜ともに詩を言う可き者は此を以てなり。の心を章句の末に玩ぶが若きは、則ち其の詩をおさむるや固なるのみ。所謂予を起こすは、則ち亦た相長ずるの義なり」(甘受和、白受采。忠信之人、可以學禮。苟無其質、禮不虚行。此繪事後素之説也。孔子曰繪事後素、而子夏曰禮後乎、可謂能繼其志矣。非得之言意之表者、能之乎。商賜可與言詩者以此。若夫玩心於章句之末、則其爲詩也固而已矣。所謂起予、則亦相長之義也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫れ礼は倹を以て本と為す。風気既に開くに至りて、日〻に繁文にはしる。……林放は夫子の論を聞きて、始めて礼の本を知る。子夏は詩を論ずるに因りて、自ら礼の後なることを悟る。放の及ぶ所に非ざるなり。論に曰く、詩は形無し。物に因りて変ず。……一事以て千理に通ず可く、一言以て千義に達す可し。故に一を聞きて二を知る者に非ざれば、詩の情を尽くすこと能わず」(夫禮以儉爲本。至於風氣既開、日趨繁文。……林放聞夫子之論、而始知禮之本。子夏因論詩、而自悟禮之後。非放之所及也。論曰、詩無形也。因物而變。……一事可以通千理、一言可以達千義。故非聞一而知二者、不能盡詩之情)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「絵事は素を後にす、何晏の註に、鄭曰く、絵は、文をえがくなり。凡そ絵を画くは、先ず衆色を布し、然る後に素を以て其の間に分布し、以て其の文を成す、と。此の説は考工記の、凡そかいの事、素功を後にす、というと合す。……且つ絵と画とは同じからず。画はひろく之を言い、絵は則ち布に画くなり。……蓋し詩の素以てあやと為すは、ふんくるを謂うなり。絢とは、爛然として光有るを謂うなり。美人は粉を得て、美は益〻あらわれ、繢事は素を布して間を分かつことを得て、五采益〻明らかに、美質は礼を学んで、其の美は益〻盛んなり」(繪事後素、何晏註、鄭曰、繪、畫文也。凡畫繪、先布衆色、然後以素分布其間、以成其文。此説與考工記凡畫繢之事後素功合。……且繪與畫不同。畫泛言之、繪則畫布。……蓋詩素以爲絢兮、謂傅粉也。絢者、謂爛然有光也。美人得粉、美益彰、繢事得布素分間、五采益明、美質學禮、其美益盛)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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