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八佾第三 6 季氏旅於泰山章

046(03-06)
季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女弗能救與。對曰、不能。子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。
季氏きし泰山たいざんりょす。冉有ぜんゆういていわく、なんじすくうことあたわざるか。こたえていわく、あたわず。いわく、嗚呼ああすなわ泰山たいざん林放りんぽうかずとおもえるか。
現代語訳
  • 季孫さんが(家老のくせに)泰山の祭りをする。先生が冉(ゼン)有に ―― 「おまえ、とめられないのか…。」返事 ―― 「ダメです…。」先生 ――「ウーム、泰山も林放以下と見なすわけだな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 氏が泰山たいざんの祭をしようとした。そこで孔子様が当時季氏のしつだった門人冉有に、「とんでもないれいせんじょうなことだが、お前はそのあやまちを正し救うことができないか。」と言われた。すると冉有が「もはや決定してしまって、やめさせるわけにまいりません。」と答えたので、孔子様が慨歎がいたんしておっしゃるよう、「ああ泰山たいざんの神が林放りんぽうに及ばぬと思っているのか。林放でさえ礼の根本を心得て質問をしたではないか。泰山の神がどうしてさような非礼の祭を受けられようぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 季氏が泰山たいざんの山祭りをしようとした。先師が冉有ぜんゆうにいわれた。――
    「お前は季氏の過ちを救うことができないのか」
    冉有がこたえた。――
    「私の力ではもうだめです」
    先師がため息をついていわれた。――
    「するとおまえは、泰山の神は林放りんぽうという一書生にも及ばないと思っているのか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 季氏 … 魯の国の大夫、季孫氏。三桓の中で最も勢力があった。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 旅 … 山の神を祭る。
  • 泰山 … 山東省にある名山。当時、斉と魯の国境にあった。ウィキペディア【泰山】参照。
  • 冉有 … 前522~?。孔門十哲のひとり。姓は冉、名は求。あざなは子有。政治的才能があり、季氏の宰(家老)となった。孔子より二十九歳年少。冉求、冉子とも。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 女弗 … 「女」は「汝」に同じ。「弗」は「不」と同じく否定の意を示す助字。「不」より強い。
  • 救 … 魯君を無視し、陪臣の季氏が泰山を祭るという僭越非礼を正し救う。
  • 嗚呼 … 強い嘆息・慨嘆の言葉。
  • 曾 … 「乃」に同じ。句のはじめに置く強めの言葉。
  • 林放 … 魯の人ということ以外は不明。礼に詳しい人らしい。
補説
  • 『注疏』に「此の章は季氏の非礼にして泰山を祭るを譏るなり」(此章譏季氏非禮祭泰山也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 季氏旅於泰山 … 『集解』に引く馬融の注に「旅は、祭の名なり。礼に、諸侯は山川の其の封内に在る者を祭る、と。今、陪臣泰山を祭るは礼に非ざるなり」(旅、祭名也。禮、諸侯祭山川在其封内者。今陪臣祭泰山非禮也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「又た季氏の僭をそしるなり。旅は、祭の名なり。泰山は魯の泰山なり。礼に、天子は天下の名山大川を祭る。諸侯は止だ其の封内を祭るのみ、と。大夫の位専らには封ずるに非ざれば、則ち山川を祭るを得ず。而るに季氏も亦た僭して魯の大山を祭るなり。鄭、周礼に注して云う、旅は、常祭に非ざるなり。今、季氏大山を祭る。是れ常祭に非ず。故に旅と云うなり」(又譏季氏僭也。旅、祭名也。泰山魯之泰山也。禮天子祭天下名山大川。諸侯止祭其封内。大夫位非專封、則不得祭山川。而季氏亦僭祭魯大山也。鄭注周禮云、旅、非常祭也。今季氏祭大山。是非常祭。故云旅也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「旅は、祭名なり。礼にては、諸侯は山川の其の封内に在る者を祭る。今陪臣にして泰山を祭るは、礼に非ざるなり」(旅、祭名也。禮、諸侯祭山川在其封内者。今陪臣祭泰山、非禮也)とある。また『集注』に「旅は、祭の名。泰山は、山の名、魯の地に在り。礼に、諸侯は封内の山川を祭る。季氏之を祭るは、僭なり」(旅、祭名。泰山、山名、在魯地。禮、諸侯祭封内山川。季氏祭之、僭也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 冉有 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く馬融の注に「冉有は、弟子の冉求なり。時に季氏に仕う」(冉有、弟子冉求也。時仕季氏)とある。また『義疏』に「冉有は、孔子の弟子なり」(冉有、孔子弟子也)とある。また『集注』に「冉有は、孔子の弟子、名は求。時に季氏の宰たり」(冉有、孔子弟子、名求。時爲季氏宰)とある。
  • 子謂冉有曰、女弗能救与 … 『集解』に引く馬融の注に「救うは、猶お止のごときなり」(救、猶止也)とある。また『義疏』に「冉有は、孔子の弟子なり。救うは、猶お諫止のごときなり。時に冉有は李氏の家に仕う、季氏は濫祀す、故に孔子は冉有に問いて言う、汝既に彼の家に仕う、那ぞ其の濫祀を諫止すること能わざらんや、と」(冉有、孔子弟子也。救、猶諫止也。時冉有仕李氏家、季氏濫祀、故孔子問冉有言、汝既仕彼家、那不能諫止其濫祀乎)とある。また『注疏』に「冉有は、弟子の冉求、時に季氏に仕う。救は、猶お止のごときなり。夫子季氏の非礼にして泰山を祭るを見る、故に言を以て弟子の冉有に謂いて曰く、汝既に季氏に臣たれば、其の非礼を知りては、即ちまさに諫止すべし。汝豈に諫止すること能わざるか、と。与は、語辞なり」(冉有、弟子冉求、時仕於季氏。救、猶止也。夫子見季氏非禮而祭泰山、故以言謂弟子冉有曰、汝既臣於季氏、知其非禮、即合諫止。汝豈不能諫止與。與、語辭)とある。また『集注』に「救うは、其の僭窃の罪に陥るを救うを謂う」(救、謂救其陷於僭竊之罪)とある。
  • 女弗 … 『義疏』では「汝不」に作る。
  • 対曰、不能 … 『義疏』に「冉有孔子に対うるなり。能わずは、季氏の豪僭、諫むと雖も止む能わざるを謂うなり」(冉有對孔子也。不能、謂季氏豪僭、雖諫不能止也)とある。また『注疏』に「季氏の僭濫を、已に諫止すること能わざるを言うなり」(言季氏僭濫、已不能諫止也)とある。
  • 子曰、嗚呼 … 『義疏』に「孔子更に季氏の失を説く、故に先に歎じ而る後に言うなり。嗚呼は、歎ずるなり」(孔子更説季氏之失、故先歎而後言也。嗚呼、歎也)とある。また『注疏』に「孔子其の礼を失えるを歎ず、故に嗚呼と曰う」(孔子歎其失禮、故曰嗚呼)とある。また『集注』に「嗚呼は、歎辞」(嗚呼、歎辭)とある。
  • 曾謂泰山不如林放乎 … 『集解』に引く包咸の注に「神は非礼をけず。林放尚お礼を知る。泰山の神、反って林放に如かざらんや。いて之を祭らんと欲す」(神不享非禮。林放尚知禮。泰山之神、反不如林放邪。欲誣而祭之)とある。また『義疏』に「曾の言たる、則なり。乎は、助語なり。孔子曰く、林放尚お能く礼の本を問う、況んや泰山の神は聡明正直にして、まさに此の非礼の祀をくるをや。若し遂に此の非礼の食を歆くれば、則ち此の神反って林放に如かざるなり。既に必ず歆くる理無し。豈に誣罔して之を祭る可けんや。故に云う、則ち泰山林放に如かずと謂う可きか、と」(曾之言、則也。乎、助語也。孔子曰、林放尚能問禮本、况泰山之神聰明正直、而合歆此非禮之祀也乎。若遂歆此非禮之食、則此神反不如林放也。既必無歆理。豈可誣罔而祭之乎。故云、則可謂泰山不如林放乎)とある。また『注疏』に「曾の言たる則なり。夫れ神は非礼を享けず。林放すら尚お礼を問うを知れるに、況んや泰山の神、豈に反りて林放に如かざやんや。而るに季氏はもうして之を祭らんと欲するなり。言うこころは泰山の神は、必ずや季氏の祭を享けざるべし。若し其れ之を享くれば、則ち是れ林放に如かざるなり」(曾之言則也。夫神不享非禮。林放尚知問禮、況泰山之神、豈反不如林放乎。而季氏欲誣罔而祭之也。言泰山之神、必不享季氏之祭。若其享之、則是不如林放也)とある。また『集注』に「言うこころは神は非礼をけず。季氏其の益無きを知りて自ら止めんことを欲し、又た林放を進めて、以て冉有をはげますなり」(言神不享非禮。欲季氏知其無益而自止、又進林放、以厲冉有也)とある。宮崎市定は「曾て泰山を謂うこと、林放の如くならざりしか」と訓読し、「泰山と孔子の弟子林放とを比較して輕重することは、何と考えても釣合いがとれない。冉有も林放も孔子の弟子で、嘗ては氣輕るに泰山を祭る禮のことなどを話しあったのを孔子が思い出し、林放を引合いに出して冉有を責めたと見る方が自然である。泰山の神と林放とを比較するような不自然な讀み方が生じたのは、儒教の官僚化を物語るものである」と指摘し、「お前も昔は泰山の禮について話しあうこと、林放と全く同一意見ではなかったか」と訳している(『論語の新研究』185頁)。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「冉有、季氏に従う。夫子に其の告ぐ可からざるを知らざらんや。然れども聖人軽〻かるがるしく人を絶たず、己の心を尽くす。いずくんぞ冉有の救う能わず、季氏の諫む可からざるを知らんや。既に正すこと能わざれば、則ち林放をめて、以て泰山のう可からざるを明らかにす。是も亦た教誨の道なり」(冉有從季氏。夫子豈不知其不可告也。然而聖人不輕絶人、盡己之心。安知冉有之不能救、季氏之不可諫也。既不能正、則美林放以明泰山之不可誣。是亦教誨之道也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫れ礼は人の隄防なり。礼立てば則ち人心定まる。人心定まれば則ち上下安し。上下安ければ則ちりん以て叙することを得ん。庶事以て成ることを得ん。今、季氏臣を以て君を僭すれば、則ち是れ自ら其の隄防をやぶるなり。神は非類をけず。民は非族を祀らず、季氏魯国の卿と為して、為す所くの如し、何を以て其の民を率いん。不智なること亦た甚だし」(夫禮人之隄防也。禮立則人心定。人心定則上下安。上下安則彝倫得以叙矣。庶事得以成矣。今季氏以臣僭君、則是自壞其隄防也。神不歆非類。民不祀非族、季氏爲魯國卿、而所爲如此、何以率其民。不智亦甚矣)とある。彝倫は、人として常に守るべき道理。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「此の章、古註は以て僭をそしれりと為し、朱子之に因れり。然れども其の林放を引くを観れば、則ち孔子の譏れるは、必ず奢に在りて僭に在らざらん。則ち必ず季氏は魯公の為に旅せし者、而して其の礼を行うにだ美観を務めたるが故のみ。後儒言って季氏に及ぶごとに則ちたやすく僭なりと謂う、豈になずまずや」(此章、古註以爲譏僭、朱子因之。然観其引林放、則孔子之譏、必在奢而不在僭。則必季氏爲魯公旅者、而其行禮徒務美觀故爾。後儒毎言及季氏則輒謂僭也、豈不泥乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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