>   論語   >   学而第一   >   16

学而第一 16 子曰不患人之不己知也章

016(01-16)
子曰、不患人之不己知、患不知人也。
いわく、ひとおのれらざるをうれえず、ひとらざるをうれうるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「人に知られなくてもこまらぬが、人を知らないのはこまる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「自分の心事や才能を他人が知ってくれるかどうかを苦にすることはない。他人のけん善悪ぜんあくのうのうを自分が知らずにいはせぬかを心配すべきだ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「人が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。自分が人を知らないということが心配なのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 里仁第四14」「憲問第十四32」「衛霊公第十五18」と同じ趣旨。
  • 患 … くよくよと気にする。心配する。
  • 人 … 他人。
  • 人之不己知 … 他人が自分の能力・学識を認めてくれないこと。
  • 不己知 … 「己を知る」は「知己」という語順になるが、「己を知らず」という否定文の場合は「不知己」とはならず、「不己知」という語順になる。「己」「我」「之」などの代名詞が目的語であるとき、このような語順となる。
  • 不知人 … 他人の能力・賢愚を正しく理解しないこと。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人は当に己を責めて人を責めざるべきを言う」(此章言人當責己而不責人)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集解』には、この章の注なし。
  • 不患人之不己知、患不知人也 … 『義疏』に「世人多く己の才有るを言うも、人の知る所と為らず。故に孔子解きて之をおさうるなり。言うこころは人の己を知らざるを患えず、但だ己の人を知らざるを患うるのみ。故に李充云う、凡そ人の情、多く人を知るを軽易す。而れども人の己を知らざるを怨む。故に之を抑引よくいんして教え興すは此れなり、と」(世人多言己有才、而不爲人所知。故孔子解抑之也。言不患人不知己、但患己不知人耳。故李充云、凡人之情、多輕易於知人。而怨人不知己。故抑引之教興乎此矣)とある。抑引は、導くこと。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「凡そ人の情として、人を知るを軽易して、人の己を知らざるを患うること多し。故に孔子之をおしえて云う、我は則ちしからざるのみ。人の己を知らざるを患えず、但だ己の人を知ること能わざるを患うるなり、と」(凡人之情、多輕易於知人、而患人不知己。故孔子訓之云、我則不耳。不患人之不己知、但患己不能知人也)とある。
  • 人之不己知 … 『義疏』では「人之不己知也」に作る。
  • 患不知人也 … 『義疏』では「患己不知人也」に作る。また『経典釈文』では「患不知也」に作る。『経典釈文』(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)参照。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「君子は我に在る者を求む。故に人の己を知らざるを患えず。人を知らざれば、則ち是非邪正、或いは弁ずること能わず。故に以て患と為すなり」(君子求在我者。故不患人之不己知。不知人、則是非邪正、或不能辨。故以爲患也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「晏嬰あんえいの賢にして、孔子を知らず。荀子の学にして、子思・孟子を知らず。甚しきかな人を知らざるのわずらいたることや。鮑叔の管仲を知り、蕭何の韓信を知るが若きは、似たり。然れどもいまだし。孔子に非ざれば、則ち堯舜の当に祖述すべきを知らず。孟子に非ざれば、則ち孔子の聖、生民以来、未だ嘗て有らざることを知らず。斯れ之を能く人を知ると謂うなり。かたきかな」(晏嬰之賢、而不知孔子。荀子之學、而不知子思孟子。甚乎不知人之爲患也。若鮑叔之知管仲、蕭何之知韓信、似矣。然未也。非孔子、則不知堯舜之當祖述焉。非孟子、則不知孔子之聖、生民以來、未嘗有也。斯之謂能知人也。難矣哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「人の己を知らざることを患えずとは、めいを知るなり。人を知らざるを患うるとは、仁以て己の任と為すなり。……夫れ学は、先王の道を学ぶなり。学んで以て徳を成せば、将にこれを世に用いんとす」(不患人之不己知、知命也。患不知人、仁以爲己任也。……夫學、學先王之道也。學以成德、將用諸世)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十